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モネとルーカスと庵野(イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜ーモネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン)

平日なのに行列が出来ていた。
本当、日本人は印象派が、モネが好きなんだなというのを実感した。

とりあえず、整列入場とやらで、自分の前で区切られると、ちょっとムカつく。一度に入場させている人数なんて、その時によってバラバラだから、とりあえず、こいつは目の前で区切っても暴れないだろうみたいな感じで人を見てやっているのでは?ちょっと、区切り方がおかしいよなと思い、ムッとした表情を見せたら、“前の方と一緒ですか?”とか聞いてきたしね。

そして、改めて認識したことは、美術館・博物館にやって来る客層がかなり変わってしまったということだ。コロナ前からその傾向はあったが、コロナ禍になって一気に加速したって感じかな。

日本のアート界はおそらく予算がないのだろう。だから、金策に走り、客寄せパンダとして音声ガイドに人気声優やイケメン俳優などを起用するのが当たり前になっている。こうした声優や俳優のファンは、美術作品ではなく音声が目当てだ。だから、作品の前で繰り返し、推しの音声ガイドを聞く。

また、一部展示作品によっては、写真撮影を許可しているものもある。おそらく、美術館・博物館はSNSでの拡散=無料の宣伝を期待しているのだろう。その結果、インスタ映えみたいなものを狙っている連中は、ベストショットが撮れるまで何度も作品を撮影するんだよね。

音声ガイドにしろ、写真撮影にしろ、結局、一つの作品の前で来場者が滞留する要因になっている。

そして、こうした美術館本来のマナーを知らない連中は、やたらと場内で列を作りたがる。美術館・博物館では好きな順番で鑑賞していいというルールを知らないんだよね。

本当、最近、美術館・博物館に行くのがストレスで仕方ない。
入場料も高くなったしね。


でも、美術館・博物館側としては、コアな美術ファンよりも、音声ガイドを利用してくれる美術に興味がない方が上客になっているから、いくら、美術ファンが文句を言っても改善はされないと思う。

というか、コロナ禍で美術館・博物館の経営は厳しくなっているだろうから、この産業アート路線はさらに進んでいくのではないだろうか。

閑話休題。

本展についても語っておこう。やっぱり、自分も日本人だから印象派の作品を見ると癒されるよねとは思った。
でも、混んでいるから全然、落ち着かないけれどね。

とはいえ、クロード・モネの「睡蓮」はいつ見ても、どのバージョンを見ても、精神を安定させてくれると思った。
本展の目玉であるイスラエル博物館所蔵の「睡蓮の池」は日本初出展らしいので、初めて肉眼で見たバージョンであるのは間違いないが、館内ではもしかしたら以前に見たかも知れない「睡蓮」も展示されていた。そして、それらも含めて、どの「睡蓮」も心身ともに疲れた私にとっては効果てきめんの精神安定剤だったとは思う。

そして、今回、「睡蓮」を見て思ったことがある。それは、モネって、ジョージ・ルーカスや庵野秀明に通じるものがあるのではないのかということだ。

ルーカスフィルムがディズニー傘下になる前の「スター・ウォーズ」というのは、初公開バージョンを手直した特別篇を公開したり、映像ソフト化する際に一部映像をさしかえたりということが当たり前になっていて、初公開バージョンが一般的なバージョンではなくなっていた。

また、テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」も映像ソフト化の際に修正されていたが(これが良くも悪くもお手本となり、今では納期に間に合わせるためにやっつけ仕事で作ったテレビアニメをソフト化する際に修正を加えることが当たり前になっている)、それだけではなく、テレビシリーズとは別ルートの最終回を描いた旧劇場版も作られた。

さらには、改めてシリーズスタート当初に戻り、最初のうちはテレビシリーズをなぞりつつ、途中からは完全に別ルートへと向かう新劇場版も作られた。

つまり、一度世に出た作品を自らの手で可能な限りアップデートしていこうという姿勢は「睡蓮」、「スター・ウォーズ」、「エヴァ」に共通するものなのではないかと思う。

ところで、モネの作品を見ると、“おかえり”って言いたくなるけれど、本展の目玉の「睡蓮」は日本初出展らしいから、“おかえり”ではないんだよね。残念…。

「いらっしゃいモネ」じゃ、タイトルとしてイマイチだしね…。

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