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これぞケネス・ブラナー作品「ベルファスト」

本来なら、本作「ベルファスト」は同じケネス・ブラナー監督作品である「ナイル殺人事件」の後に発表されるはずだった作品だが(アート系映画の日本公開が遅い日本では製作順で公開されたが)、あちらは大手ディズニーの配給作品ということで、コロナの影響などで世界中で何度も公開スケジュールが変更されたために、皮肉なことに日本公開は予定通りの順番になってしまった。

ケネス・ブラナーと聞いて、すぐにウィリアム・シェイクスピアを連想するのは40代以上の人だと思う。確かにロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身で舞台では多くのシェイクスピア戯曲の上演に関わってきた。

また、彼が映画監督および映画俳優として有名になったのはシェイクスピア戯曲を映画化した1989年の「ヘンリー五世」で、これで初めてアカデミー賞にノミネートされた(監督賞と主演男優賞)。
その後のアカデミー賞ノミネート歴を見ても、脚色賞にノミネートされた「ハムレット」(1996年)、ブラナーと同じくシェイクスピア戯曲の上演作品や映画化作品で知られるローレンス・オリビエを演じて助演男優賞にノミネートされた「マリリン 7日間の恋」(2011年)とシェイクスピア絡みのものが目立つ。

とはいえ、ブラナーがシェイクスピアに特化した監督・俳優かというと、そうでないのも事実だ。一時期はシェイクスピア戯曲を全作映画化したいみたいなことを言っていたが、現時点で監督作品として発表したのは、上記の「ヘンリー五世」、「ハムレット」以外では、主演も兼ねている「から騒ぎ」(1993年)と「恋の骨折り損」(2000年)、日本では未公開で米国ではテレビ放送となった作品で俳優としては参加していない「お気に召すまま」(2006年)があるだけ。

そのほか、俳優に徹した作品では「オセロ」(1995年)があるだけ。それにプラスして、「リチャード三世」の映像化作品とそのメイキング、さらに、「リチャード三世」に関するドキュメンタリーをミックスした不思議な構成の作品「リチャードを探して」(1996年)のドキュメンタリー部分に出演しているくらいだ。

戯曲の映画化でないシェイクスピア関連としても、上記の「マリリン 7日間の恋」以外では、シェイクスピアの晩年を描いた伝記映画「シェイクスピアの庭」(監督・主演兼任 2019年)、落ち目の俳優が「ハムレット」上演に奮闘する様子を描いた監督作品「世にも憂鬱なハムレットたち」(1995年)があるくらいだ。

勿論、これだけあれば十分だという意見もあるとは思う。でも、シェイクスピアの第一人者として考えると、かなり物足りない本数だと個人的には感じている。

というか、30代以下の映画ファンにとっては、シェイクスピア絡みの作品以外でのブラナーの方が有名なのではないかと思う。

監督作品で日本で一番有名な作品は、ディズニーのアニメーション映画を実写化した「シンデレラ」(俳優としては出演せず、2015年)だろう。
マーベル・シネマティック・ユニバースに含まれる「マイティ・ソー」(2011年)も彼の監督作品だ(こちらも俳優としては出演せず)。
まあ、この2作は世間的にはブラナー作品と認識されていないかも知れないが。

また、俳優に徹した作品では、最近では「ダンケルク」(2017年)、「TENET テネット」(2020年)といったクリストファー・ノーラン監督作品があるし、既に20年も前の作品にはなるが「ハリー・ポッターと秘密の部屋」にだって出ている。

そして、近年のブラナー仕事で最も認識されているのが監督と主演を兼任した「名探偵ポアロ」シリーズ(2017年の「オリエント急行殺人事件」と2022年の「ナイル殺人事件」)だと思う。

だから、現在では圧倒的にシェイクスピア以外のイメージの方が強いんだよね。「ハリポタ」に出た20年前の時点で既にそのイメージは薄れていたのだと思う。

そんな、バラエティに富んだブラナーのフィルモグラフィーの中で忘れ去られそうになりがちな作品だが、最もブラナーらしさが出ている作品といえば1992年の監督作品(俳優としても出演)「ピーターズ・フレンズ」だと思う。

80年代初頭に大学を卒業した仲良しグループが10年後の90年代初頭に再会するというストーリーだ。要は英サッチャー政権が始まった頃に大学生になった若者が、サッチャー政権の小さな政府という政策による貧富の差拡大に苦しめられ、サッチャー政権が終了し、東西ドイツが統一し、ソビエト連邦が崩壊した頃にやっと、再会できるだけの余裕を持てるようになったという、英国のエンタメ作品に多いサッチャー政権批判ものだ。
その若者が苦しめられた80年代の英国をティアーズ・フォー・フィアーズ“ルール・ザ・ワールド”など当時のヒット曲を使って描いた作品だ。

80年代初頭というのは、実際にブラナーが大学を卒業した頃だし、90年代初頭というのは、「ピーターズ・フレンズ」が発表された時期だ。
つまり、この作品にはサッチャー政権下で若者だったブラナーの個人的経験が反映されていると見ていいということだ。

そして、本作「ベルファスト」も「ピーターズ・フレンズ」同様、ブラナーの個人的経験が反映されている作品だ。1969年末から70年春頃のベルファストが舞台となっているが、ブラナーは北アイルランド・ベルファスト出身で、本作の主人公であるバディ少年と同様、少年時代にイングランドに引っ越している。バディ少年役の子役ジュード・ヒル君がブラナーの子ども時代にしか見えないのも、そうした半自伝的要素を意識したキャスティングなんだと思う。

それにしても、朝ドラっぽい映画だったな(主人公は男だけれど)。正確に言うと、朝ドラ主人公の子役時代の2週間くらいを金をかけて映画化した作品って感じかな。勿論、ロケ撮影もしているし、ヘア&メイクもコントみたいな安っぽいものではなくきちんとやっているんだけれどね。

ちなみに、本作のヘア&メイク担当は日本出身の女性だ。つまり、日本の映画やドラマのヘア&メイクがコントに見えるのは、日本のヘア&メイクデザイナーの技術がないからではなく、日本の現場に金や時間がなく、しかも、出演俳優の自己イメージや他の作品との兼ね合いで、きちんと、ヘア&メイクを施せないのが原因だというのがよく分かるよね。

ちなみに、朝ドラっぽいと思った理由は、主人公が暮らすコミュニティの日常の風景を積み重ねつつ、主人公が初恋を経験したり、悪いことをして怒られたり、世の中の動きに巻き込まれたりしながら成長していくところを描いているってあたりかな。

ほとんど、主人公の住む家とその周辺(祖父母の家とか学校など)しか出てこないからね。

あと、現在の基準では明らかにNGなんだけれど、当時は普通だった本人も気づかないところで無意識にしてしまっている差別描写があるのも時代背景をリアルに描いているなと思った。

インド人に対してだって差別しないと言っておきながら、“カレーをご馳走になったせいで1週間、腹の調子がおかしかった”と言ったり、プロテスタントとカソリックは共存できると言っているのに、プロテスタントの人がカソリックの人を“懺悔すれば何をしても良いと思っている”と言っていたりというのは、そういう無意識の差別だしね。

あと、自分が住んでいるコミュニティが閉塞しているのは分かっているのに、変化を恐れて、世の中を変えようとしない人たちの描写があったが、これは現在にも通じるメッセージだと思った。

どんなに世の中に対して不満を持っていても、仕事や金、家族のことを考えたら、現状維持でいいかってなってしまうからね。日本でも、増税など不満だらけなのに自民党支持が続いているのもそういうことだしね。
結局、身の危険を感じなければ、動くことなんてできないってことなんだよね。体の調子がおかしいから、多少、収入が減っても今の仕事を辞めなくては命がもたないと思うのもそう。
本作の主人公一家が最終的には生まれ育ったベルファストを離れる決意をしたのもそう。暴動が相次ぐベルファストに住み続けるのは命の危険を感じたからだしね。

主人公の父親が引っ越ししようと主張した際、主人公も母親も最初はベルファスト以外の習慣の違う土地で生活したことがないから反発していた。
でも、そんな主人公たちに助言したのが病に蝕まれていた祖父だった。
彼は作品の舞台となっている1969年に人類が月面着陸に成功し、その際にアポロ11号のアームストロング船長が“一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ”と言ったことにちなんで、“イングランドへの引っ越しは小さな一歩”と話すのだが、こういう時代背景をうまく使ったストーリー展開のテクニックというのも「ピーターズ・フレンズ」に通じるものがあると思う。

現在と思われる冒頭とラストのシーン、それから、作中で主人公が見ている映画や演劇のステージだけカラーとなっている映像表現の仕方も効果的だったと思う。パートカラーの演出は同じく“戦下”を描いた「シンドラーのリスト」を思い浮かべてしまうけれどね。

ところで、このパートカラーのシーンでは「クリスマス・キャロル」が上演されていたけれど、ケネス・ブラナー監督作品として(勿論、スクルージ役はブラナー)「クリスマス・キャロル」を見たいなと思った。

北アイルランド紛争は欧米社会の敵がイスラム勢力になった2000年代に入り沈静化したけれど、90年代くらいまではかなり危険な状態だったんだよね。英国という大国の首都であるロンドンが常にテロの危機にさらされているという異常事態で、当時、自分はいくら音楽好きでもロンドンには行きたくないって思っていたくらいだしね。

それから、90年代くらいまでは北アイルランド紛争を題材にした映画って、よく作られていたよね。アカデミー作品賞にノミネートされた「クライング・ゲーム」(1992年)や「父の祈りを」(1993年)もそうだし、娯楽寄りの作品でも「ブローン・アウェイ/復讐の序曲」(1994年)とか「デビル」(1997年)とかあったしね。

そして思う。北アイルランド紛争を題材にした映画を見ていると、嫌でも現在のウクライナ情勢を思い浮かべてしまう。
英国領だけれど文化的にはアイルランドの北アイルランドで過激派が台頭したように、ウクライナの親ロシア派地域を巡り、ロシアとウクライナで戦闘が繰り広げられるというのは似ている部分もあるしね。

そういえば、終盤、祖父の葬儀のシーンで名曲“Everlasting Love”が使われていたが、この曲って、おそらく、北アイルランドでは英バンド、ラブ・アフェアーのバージョンで親しまれているんだろうが、アイルランド出身のU2がカバーしているところを見ると、北アイルランド住民を含むアイルランド系の人にも親しまれている楽曲ってことなのかな?

ところで、翻訳字幕だけれど、最後と最期の使い方が間違っていたぞ。最期とすべきところが最後に、最後とすべきところが最期になっていた。

《追記》

TOHOシネマズシャンテって、発券機が1台しかないから混んでいると有人窓口で発券となるんだけれど、その際に個人情報を他の客がいる前で言わせるシステムっておかしいだろ! 

QRコードを導入しろよ!

これが東宝が客に対して上から目線って言われる理由の一つでもある。

あと、シャンテって発券する前に検温するけれど、コレって、一見、万全の感染症対策をしているように見えるけれど、払い戻しをしたくないからやっているようにしか思えないんだよね。
一度、発券した上で検温に引っかかって“帰ってくれ”と言われれば、その場ですぐに返金できるけれど、発券していないと手続きが面倒だしね。それこそ、他の客がいる前で個人情報を言わなくてはならない。しかも、感染疑いのある人間が声を出して言わなくてはならないわけだから、おそらくはその場では有耶無耶にされてしまう可能性が高いしね。それで、気づいたらクレジットカードの請求書にきちんと反映されないまま、引き落としされてしまうんだろうね。

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