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ベイビー・ブローカー

映画監督が出身国・地域もしくは拠点とする国・地域以外で作品を撮ることがある。

台湾出身だが、拠点は米国のアン・リー監督は「グリーン・デスティニー」などアジアで撮った作品も、「ブロークバック・マウンテン」など
米国で撮った作品も、アン・リー作品らしさが全開となっている。

香港出身のジョン・ウー監督は「フェイス/オフ」や「M:i-2」などのハリウッド作品でジョン・ウー節を全開させていた。

一方で、監督としてクレジットされるのは別の者だけれど、アクション・シーンに関しては実質的には監督しているとも言われているジャッキー・チェンに関しては、アジアで製作した作品と米国で製作した作品では別モノと言っていいくらい、クオリティが違う。それは、米国では労働管理的な観点から危険なアクション・シーンが撮影できないからだ。トム・クルーズのようにプロデューサーとして作品の権限を握れば好き勝手なことができるだろうが、アジア人、しかも、米国が拠点ではない者が米国映画で権限を握るのは難しいから、そりゃ、米国産ジャッキー映画のアクションがぬるいものになってしまうのは仕方ないよね。

日本の映画監督なのに、日本では作品を作ることができなかった者もいた。それは、大巨匠の黒澤明だ。1970年から90年代初頭にかけて黒澤は5年に1本のペースでしか作品を発表することができなかった。その最大の理由は黒澤がこだわりにこだわり抜いて撮影するからだ。製作期間が長引き、予算も上昇するので、日本の映画会社は黒澤作品に関わることを敬遠していた。

75年に5年ぶりの新作として発表された「デルス・ウザーラ」はソ連映画だ。その5年後の80年に公開された次回作「影武者」はフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスといったハリウッドの監督が資金集めに奔走した。そして、再び5年の月日を要したその次の85年度作品「乱」にはフランス資本が入っている。さらに、それに続く作品の発表にも5年がかかった。90年度作品「夢」はハリウッドのメジャースタジオ、ワーナー映画の作品として公開され、スティーブン・スピルバーグ率いるアンブリン、ジョージ・ルーカスが興したILMが協力したほか、マーティン・スコセッシが俳優として出演した。その次の「八月の狂詩曲」はそれから、わずか1年で世に出たものの、これも、ハリウッド・スターのリチャード・ギアの出演が話題となった作品だ。

つまり、黒澤クラスの大巨匠ですら、日本では思うように映画を作れなかったということだ。

今、そのポジションに近づきつつあるのが、是枝裕和なんだと思う。

2015年から4年連続で是枝作品が発表されたが、このうち、「海街diary」(2015年)、「三度目の殺人」(2017年)、「万引き家族」(2018年)の3本が日本アカデミーの最優秀作品賞を受賞している。
また、海外では是枝作品はカンヌ国際映画祭の常連となっていて、「万引き家族」では日本映画としては21年ぶりとなるパルムドールを受賞したし、同作はアカデミー賞の外国語映画賞(現・国際長編映画賞)にもノミネートされた。

河瀨直美がカンヌの常連になっているのは全く理解できない。ここ最近、欧米のエンタメ・アート界はポリコレ至上主義でキャンセルカルチャーが蔓延しているのに、ネトウヨ思想全開でスタッフにパワハラを働いていた彼女がいまだにカンヌのお気に入りになっているのは理解不能だ。何かウラでもあるのではないかと勘繰りたくなってしまう。

でも、是枝に関しては本当に評価されているんだと思う。欧米人好みの社会派路線、ポリコレ思想が展開されていながら、日本的・アジア的なオリエンタリズムもあるからなんだろうね。

でも、カンヌ映画祭パルムドール受賞、アカデミー賞ノミネートによって、是枝作品は日本国内のみならず、海外の観客も意識した作品作りを求められるようになってしまった。当然、金はかかる。
テレビドラマやテレビアニメの劇場版だとか、大して金をかけずに作られる若手俳優出演の青春ものばかりが乱造されている日本映画界の現状では金のかかる是枝作品は困った存在なのかもしれない。

そして、日本のエンタメ界は政権をマンセーする傾向が年々強まっている。今回の参院選に元おニャン子クラブが出馬し、それを国内の音楽団体が支持したり、人気漫画家が出馬し、老若男女の目に触れる場でエログロ描写を提示することが表現の自由だなどと主張したりしているのは、その一環だと思う。でも、是枝作品のような政治的・経済的・社会的なメッセージを織り込んだ作品は左翼的、つまり、政権批判作品と捉えられてしまう。

しかも、彼自身、日本映画界や政権を批判するような発言を度々している。
だから、尚更、日本国内では新作を作りにくくなっているのだろう。

前作「真実」(2019年)がフランス作品だったのに続き、本作「ベイビー・ブローカー」が韓国作品となったのは、そうした日本映画界における居場所のなさをあらわしているのかもしれない。

そんなわけで、不安要素も抱えながら本作を鑑賞することになった。
スクリーンに映し出されているのは韓国の景色だし、演技しているのは韓国の俳優だけれど、全体的な印象としては、日本映画を韓国語吹き替えで見たって感じかな…。

画面の暗さも日本映画っぽいしね。

そして、脚本もかなりアラアラでツッコミどころも多かった。赤ちゃんを捨てたヒロインが後悔して、捨てた教会に戻ってくるのはいいが、その教会のスタッフがウラでブローカーをやっていることを突き止め、しかも、そのアジトにまで簡単にたどり着けたのは何故?

後悔して戻って来たのに、結局、自分の赤ちゃんを買ってくれる人をブローカーと一緒に探しているのも謎だ。いくら、殺人容疑がかけられているから自分では育てられないと判断して売ることにしたとしても、整合性が合っていないような気がする。

しかも、最終的には、このヒロインの産んだ子どもを引き取るのが、赤ちゃんの売買を取り締まろうとしていた女刑事というのも意味不明。いくら、教会も擁護施設もウラで何をやっているか信用できないからとはいえ、普通、そんな公私混同したことは許されないでしょ。

それから、全体としては中絶は殺人という視点で描いているようだが、そんな内容では、いくら、ソン・ガンホが出ているとはいえ、「パラサイト 半地下の家族」のように欧米の映画賞レースでは評価されないと思う。評価されても、ソン・ガンホをはじめとする俳優陣の演技のみで、作品自体や監督、脚本に対しては評価されないと思う。

結局、本作がカンヌ国際映画祭のエキュメニカル審査員賞を受賞できたのって、この賞がキリスト教関連の団体から贈られるものだからでしよ。つまり、キリスト教関係者はいまだに中絶はどんな理由でもやってはいけないって考えているということかな。

最近、米連邦最高裁が中絶の権利を認めた判断を覆したことが大きなニュースとなり、左派思想の者が多い欧米の芸能人は猛批判しているけれど、一般の欧米人、特に左派思想でない人たちは、中絶は悪という考えの人が多いってことなんだろうね。そもそも、キリスト教圏は自殺は罪という文化だから、同様に母親が“自ら”の意思で子どもの命を奪う中絶も罪ってことなんだろうね。

まぁ、本作では一応、賛否両論を併記する感じにしてはいるけれど、欧米のリベラル・左派思想では、中絶を認めないという意見が認められていないから、そうした思想の者たちの意向によって左右される欧米の映画賞で本作が評価されることはないと思う。

ただ、評価できる点もあった。それは音響だ。日本ではアート系作品の音響なんて、お話にならないほど酷いレベルだけれど、本作はハリウッド映画なみの音が鳴らされていた。やっぱり、韓国映画界は日本の何百歩も先を行っているね。

ところで、本作を鑑賞した劇場ではやたらと若者が多かった。それから、やたらと上映開始後にスクリーンの前を堂々と横切って遅れて入場してくる観客も多かった。この手の社会派作品って、一般的にはシネフィルとかリベラル、左派系の人がコアな観客層で、そういう人たちは上映開始前にはきちんと着席し、エンドロールが全て出終わるまで見るというタイプなんだけれど、本作の観客層はそうではないようだ。

Netflixなどの配信サービスで韓流ドラマを倍速視聴しているような層が、人気俳優出演作品ということで見に来たってことなのかな?

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