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落下の解剖学

かつてはカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した作品がアカデミー作品賞にノミネートされる確率はかなり低いと言われていた。

1980年代のパルムドール受賞作品12本のうち、アカデミー作品賞にノミネートされたのは、タイトルも似ている「ミッシング」と「ミッション」の2本だけだ。

欧州のアート路線・文芸路線・社会派路線の作品が評価されやすいことから、主要部門の候補が英語圏の作品中心となるアカデミー賞とはリンクしなかったというのが主な要因だと思う。

80年代半ば辺りから米国など英語圏の国のインディーズ系作品に欧州の映画祭受けするような作品が増えてきたことから、90年代になると微増ではあるが、「ピアノ・レッスン」、「パルプ・フィクション」、「秘密と嘘」と実にパルムドール受賞作品12本のうち3作品がアカデミー作品賞候補となった。もっとも、この3本のうち米国映画は「パルプ・フィクション」だけだが。

一方、89年から91年まで「セックスと嘘とビデオテープ」、「ワイルド・アット・ハート」、「バートン・フィンク」と3作連続で米国映画がパルムドールを受賞しているが、これらの作品はいずれもアカデミー作品賞にはノミネートされなかった。

このことから、米国映画が評価されたと言っても、アカデミー作品賞にノミネートされるようなタイプの作品は結局は、カンヌ国際映画祭ではあまり好かれていないということも分かった。

そんなわけで2000年代になると80年代以前よりも両者はリンクしなくなってしまった。

00年代のパルムドール受賞10作品のうち、アカデミー作品賞候補となったのは、「戦場のピアニスト」ただ1本だ。

ただ、2009年度よりアカデミー作品賞のノミネート枠が10本に拡大となったことにより、欧州映画祭で評価された作品がアカデミー作品賞にノミネートされる機会も増えるようになった。

本来はアカデミー作品賞で無視される傾向が強い娯楽ジャンルのヒット作品の中でメッセージ性の強いものをきちんと評価しようという名目でノミネート枠が拡大されたはずなのに、さらにアート路線に進んだノミネート作品の顔触れになってしまったのは皮肉でしかないが。

そんなわけで、2010年代は、「ツリー・オブ・ライフ」、「愛、アムール」、「パラサイト 半地下の家族」とパルムドール受賞10作品のうち3本がアカデミー作品賞にノミネートされ、「パラサイト」に至っては「マーティ」以来、実に64年ぶりとなるパルムドールとアカデミー作品賞の両方を受賞した作品となった。

2016年の米大統領選挙でドナルド・トランプが当選して以降、欧米のエンタメ界は作品の中だけでも理想の世界に閉じこもりたいと思ったのかどうかは知らないが、やたらと、ポリコレ路線を進めることになった。
2020年の大統領選でトランプは敗れ、エンタメ界のポリコレ勢が好きな民主党が政権奪取したのにもかかわらず、バイテン政権が期待はずれだったことから、エンタメ界のポリコレ路線はエスカレートしている。今年の大統領選ではトランプ復帰の可能性が言われているので、おそらく、ポリコレ路線はさらに悪化すると思われる。

そんなエンタメ界のポリコレ至上主義を背景に2020年代になると、さらにパルムドールとアカデミー作品賞はリンクするようになった。

コロナの影響でパルムドールの発表がなかった2020年を除くと、2020年代のパルムドール受賞作品は現時点で3本あるが、このうち、22年の「逆転のトライアングル」、23年の「落下の解剖学」と2年連続でアカデミー作品賞にノミネートされている。このペースで行けば20年代は6本のパルムドール受賞作品がアカデミー作品賞候補となりそうだ。

本作はその最新のパルムドール受賞作品だ。

映画の製作国はフランスだが、本編中で使われる言語はフランス語、英語、ドイツ語となっている(Wikipedia日本語ページより)。

でも、アカデミー国際長編映画賞にはノミネートされていない。メインの作品賞にはノミネートされているのにもかかわらずだ。

まぁ、同部門はメインの作品賞とは異なり、それぞれの国や地域の映画協会が“代表作品”としてエントリーした1本のみがノミネートの選考対象になるので、フランス側が本作を“代表作品”に選ばなかったから、そもそも、ノミネートされるわけはないのだが。

こうした現象はたびたび起きる。それは、こうした現象はそれぞれの国や地域の映画協会が推したい作品が必ずしも国内外の批評家筋や映画ファンに評価された作品とは一致しないからだ。その国や地域の映画業界の力関係でエントリーする作品を選んでいるのが要因だ。

2022年度、インドは世界的な興行的成功を収めた「RRR アールアールアール」ではない作品をインド代表に選んだ。同作はインド映画として初めてアカデミー歌曲賞を受賞するくらい勢いがあったので、インド側が同作でエントリーしていたら国際長編映画賞ノミネートは確実だったと思う。

日本は今回、ドイツとの合作「PERFECT DAYS」でエントリーし、無事、国際長編映画賞ノミネートを果たしたが、「ゴジラ-1.0」が日本映画としては異例の視覚効果賞にノミネートされていることを考えると、こちらでエントリーした方が良かったのではないかという意見も出ている。

実際、日本アカデミー賞で「ゴジラ」が最優秀作品賞を含む8冠となっていることを考えると、そちらの方が良かったのではないかと思う。

というか、今回の日アカにおける「ゴジラ」の高評価は、全米興行収入が実写日本映画の歴代1位、外国語映画の歴代3位となったこと、アカデミー賞の視覚効果賞にノミネートされたことなどといった海外での好成績が追い風になっていることは間違いない。

全米興収ランキングのトップ10にも入らず、アカデミー賞にもノミネートされていなかったら、普通に日アカの最優秀作品賞は本家のアカデミー賞の国際長編映画賞に日本代表としてエントリーしていた「PERFECT DAYS」になっていたと思う。

アカデミー賞でかつて外国語映画賞と呼ばれていた部門が国際長編映画賞と名称を変えたのは、外国語映画=外国映画というか非英語圏映画というイメージが強かったため、英語圏、特に米国で作られた英語以外の言語をメインに作られた作品が候補になりにくい現状を打破するのが狙いだったのだろう。

そんなこともあり、2022年度の国際長編映画賞は独米合作のNetflix作品「西部戦線に異常なし」が受賞したし、2023年度(今回)も、スペイン米国合作の同じくネトフリ作品「雪山の絆」が候補にあがっている。そして、今回、受賞最有力と言われているのが米英ポーランド合作で台詞がドイツ語、ポーランド語などで構成されているホロコーストものの「関心領域」だ。

何か、米国資本の非英語映画を受賞・ノミネートさせるために、部門の名称を変えたと言われても仕方がないレベルだと思う。

本作「落下の解剖学」の話に戻ろう。

主人公はドイツ出身の女性作家だ。彼女はフランス人の売れない男性作家と結婚し、一時はイギリスで生活していたが、その後、夫が山荘経営をしようと言い出したことなどを契機にフランスで生活することになる。
しかし、彼女はフランス語の能力が不完全だし、夫はドイツ語話者ではない。だから、家庭では両者の共通言語である完全ではない英語で会話することになる。というか、主人公の女性は取材や裁判など公の場でも英語で話そうとする。
そうした言葉に起因する問題によってデイスコミュニケーションが生じて、夫は命を落とし、主人公は夫殺しの容疑者となる。
こういう話なんだから、かつては外国語映画賞と呼ばれていた部門でノミネートされるのにふさわしい内容なんだよね…。しかし、ノミネートされなかった…。

この国際長編映画賞というのはその国や地域の権威を見せつける場になっている。
だから、台詞の多くが英語の本作をフランス側は代表に選びたくなかったのだろう。なので、今回のフランス代表作はフランスの料理人の話である「ポトフ 美食家と料理人」になったのでは?しかし、同作は国際長編映画賞にはノミネートされなかった。本作を代表作品としてエントリーしていれば間違いなくノミネートされていただろうから惜しいことをしたなと思う。

ただ、この作品がアカデミー作品賞にノミネートされるのはそういう言葉の問題に起因する意見の相違というポリコレ要素があるからであり、作品自体はそれほど面白いものではないと思う。

ほとんどの場面が山荘兼自宅と主人公を巡る裁判が開かれている法廷で展開されるから画は変わり映えがしない。ぶっちゃけ、ここ最近、花粉の影響でドライアイが悪化している自分にとっては拷問だった。7時間くらいと自分にしては寝られた方だったのに、見ていて睡魔に襲われそうになったのだから、やっぱり、つまらない作品だと思う。

そして、言葉に起因するディスコミュニケーションというのはポリコレ脳に毒された人たちが喜ぶ要素だが、それ以外の要素はポリコレ脳の人たちが嫌う要素だらけだ。

一応、主人公は夫殺しの罪で無実となっているが、ほとんどの観客は有罪だったと思うのでは?
もしかしたら、夫は自殺だったかも知れないと思える案件が愛犬の体調不良から発覚したことで運良く無罪を勝ち取っただけだ。
無実になったその夜に主人公が視覚障害を持つ息子と一緒に食事を取らないことからも分かるように、息子は母親が有罪と思っている。ただ、この息子は自分が子どもで、しかも障害者だから親なしでは生活できないと分かっている。それに、母親は有名作家だから無罪となれば話題になり安定した収入を得られる。そうしたことを考えた上で母親を無罪に導いたであろうことは間違いないと思う。

また、仮に夫の死因が本当に自殺だったとしても、そういう不幸な決断に追いやったのは主人公であると言っていいと思う。

この夫婦は妻の方が有名で稼ぎも多いというタイプのいわゆる格差婚だ。

夫が仕事で忙しく、妻の方がほとんど仕事をしていない、あるいは専業主婦の場合でも、夫が育児や家事をしないと、夫が叩かれるのが当たり前の時代になって久しい。
ところが、男女の立場が逆になっている本作では多忙な妻が暇な夫に家のことは全部やれと押し付けている。そのせいで、売れない作家の夫はなかなか執筆作業を進められない。それどころか、フランスに引っ越しする際の理由になっていた山荘の経営だってうまくいっていない。

しかも、この妻は多忙であるのにもかかわらず浮気を繰り返している。そして、彼女の性的指向はバイセクシャルらしい。

普段、フェミとかの勢力が男叩きの理由に使っている育児や家事に非協力的、不倫しているというのを女性側がやっているのだから、ダブスタもいいところだ。余程のバカでない限り、作中で描かれている描写はポリコレとかフェミとかLGBTQとかリベラルなんていう連中からすれば気持ちの良いものではないと思う。

だから、おそらく本作はポリコレ脳の人の受けはそんなに良くないと思う。

ところで、主人公一家が飼っている犬の名前がスヌープなのに、事件or事故が起きた時のBGMが50セント“P.I.M.P.”というのは何故?驚いてしまった。しかも、何故かインスト・バージョン。一瞬、スヌープなのに50の曲を使うなよってツッコミそうになったが、実は同曲のリミックス・バージョンにスヌープが参加していたんだよね。おそらく、その辺を分かっている上での選曲だろうから、かなりセンスの高いセレクションだと思う。





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