記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ザ・ロストシティ

何故、“ザ”と“ロストシティ”の間には中黒があるのに、“ロスト”と“シティ”の間にはないんだ?
新聞社や通信社などの外来語のニュース表記だと、人名などを除くと、原則、中黒は入れないことになっている。“ニューヨーク”は英語では“New York”と2つの単語で形成されているのだから、本来なら“ニュー・ヨーク”とすべきなのに、“ニューヨーク”と表記するのは、その原則に基づいているのだろう。

とはいえ、これはあくまで原則だ。

世界的な経済危機は何度も起きているが、その時によって、中黒が入る場合と入らない場合がある。
“オイルショック”は中黒が入らないが、“リーマン・ショック”は中黒が入る。これはおそらく、“オイル”、つまり、石油は一般的な名称なので、中黒なしでショックとくっつけたが、“リーマン”は企業名なので(正確にはリーマン・ブラザーズ)、ショックとの間に中黒を入れる判断をしたのだと思う。

また、定冠詞(“ザ”や“ジ”)および不定冠詞(“ア”や“アン”)とその後の単語の間に中黒を入れるのもニュース表記の原則だ。

だから、本作の邦題“ザ・ロストシティ”は新聞社や通信社の人からしたら、何の問題もない表記なんだと思う。まぁ、厳密に言うと、ニュース表記では“シティ”ではなく“シティー”だけれどね。

でも、映画ファンや音楽ファンからすると違和感あるんだよね…。
原題は“The Lost City”と“The”を含めれば3つの単語で形成されているのだから、“ザ・ロスト・シティ”という邦題にすべきだと思うんだよね。
というか、映画や書籍、音楽作品の邦題では定冠詞や不定冠詞が省略されることが多いのだから(例:“The Matrix”が“マトリックス”)、“ザ”を省略すれば、中黒なしの“ロストシティ”でも、そんなに違和感ないんだよね…。“ニューヨーク”とか“メキシコシティー”と同じ感覚だと思う。

長々とどうでもいいことを語ってしまったが、本題に入ろう。

本作を見ようと思ったきっかけは、ブラッド・ピットが出ているからだ。
何しろ、「セブン」以降の出演作品は日本で劇場公開されたものは全て見ているからね…。まぁ、出演していないプロデュース作品やドキュメンタリーまでは全てチェックはしていないが。

そして、ブラピほど熱心に追いかけてはおらず、日本で劇場公開された作品でも見逃しているものは何本もあるものの、主演がサンドラ・ブロックであるということも重要な鑑賞動機となっている。

ブラピもサンドラも親しみやすいキャラだしね。

ブラピは「オーシャンズ」シリーズなどでジョージ・クルーニーと共演しているし、サンドラは「オーシャン」シリーズを引き継いだ「オーシャンズ8」に主演しているが、ジョージ・クルーニー一派の俳優って、本当、大スターなのに親近感のある人が多いよね。

サンドラに関して言えば、何しろ、ラジー賞の授賞式に出席した数少ない受賞者の1人として知られているから、それも親近感を増大させる要因になっていると思う。
同じ年の作品「ウルトラ I LOVE YOU!」でラジー賞、「しあわせの隠れ場所」でアカデミー賞を受賞したこと自体がすごいんだけれどね。別々の年にそれぞれの賞を受賞した人はいても、同じ年というのは驚きだよね。

まぁ、本当に退屈で見ながら寝てしまった作品については、ヤフー映画のレビューでわざわざ“寝てしまった”と語りたがるような連中を除けば何も話さないのが普通だから、ラジー賞の受賞・候補作品というのは何らかの見所はある作品だとは思うけれどね。

そして、本作は言うまでもなく、アカデミー賞ではなく、ラジー賞で“評価”されるタイプの作品だと思う。下ネタも多いし、人も次から次へと死ぬしね。それに、お宝のありかがストリート・ミュージシャンが歌っている歌の歌詞で分かるなんて、ご都合主義もいいところだしね。

あと、ブラピの扱いもね。“えっ?メインキャラだと思っていたのに、屈強なキャラ設定なのに、登場早々殺られちゃうの?”って感じだしね…。

と思ったら、エンド・タイトル後のオマケのシーンでは、なんだかよく分からない理由で生きていたことが明かされるし…。

でも、これでいいんだよね。昔、日曜洋画劇場などテレビの洋画劇場でよく見た、約2時間の間、なんとなく楽しめて、有意義に時間をつぶせるといったタイプの典型的な王道娯楽映画だった。

あと、この映画って、オッサン(オバサン)ホイホイ映画でしょ!

開幕早々のロマンチックな空想シーンのBGMはスパンダー・バレエが1983年にリリースした代表曲“トゥルー”だが、これはかつて、ドリュー・バリモアが自身が主演の複数のロマコメ作品で何度も使ったほどの超ベタベタな選曲だ。

そういえば、最近、“トゥルー”が大ヒットした時のメンバーではないけれど、その後、ボーカリストの座に就いた者が逮捕されるというニュースがあったが、つい、“本当?”と言いたくなってしまった。

それから、トーン・ロックの1989年のヒット曲“ファンキー・コールド・メディーナ”なんて、この曲のヒットをリアルタイムで体験した人以外にはほとんど、特別な意味を持っていない曲だと思うしね。

トーン・ロックは80年代終盤から90年代初頭にかけてヒット曲を放った他のラッパーと比べてみても、L.L.クールJやソルト・ン・ペパ、DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスのようにミュージック・シーンに大きな影響を与えたわけでもないし、M.C.ハマーやヴァニラ・アイス、マーキー・マーク&ザ・ファンキー・バンチのようにコアな音楽ファンにはバカにされながらも一般にラップというジャンルを認知させたわけでもないからね。

そして、何よりも効果的な使われ方をしていたのが、ヨーロッパの1986年の楽曲(全米チャートでは87年にヒット)“ファイナル・カウントダウン”だ(最近は“ザ・ファイナル・カウントダウン”という原題通り、“ザ”がついた表記になっているようだが)。

主人公の女性作家と、彼女の人気シリーズの小説の表紙でキャラを演じている男性モデルのトークショーのシーンの入場BGMとして使われているが、歌い出しギリギリのところでフェイドアウトして、それと同時にトークショー本編がスタートするというのは曲を分かっている人が演出・編集している証拠だよね。

そして、“ファイナル・カウントダウン”はこの後、もう1回流れるが、その使い方が感動的なんだよね。モデルがさらわれた作家を救いにバイクで追いかけてくるシーンで使われているが、メチャクチャカッコいい使われ方だった。しかも、最初は普通にイントロを聞かせているような感じなのに、いつの間にか楽曲をアレンジしたようなスコアになっているのもうまいと思った。

ちなみに、エンド・タイトルには現在ヒット中のラトー“ビッグ・エナジー”が使われている。さすがに、エンド・タイトルまで懐メロにするわけにはいかないから最新ヒット曲を使ったんでしょと思うかもしれないが、これも根本は懐メロなんだよね。

この曲の元ネタとなっているのは、マライア・キャリー1995年の大ヒット曲“ファンタジー”だ。そして、その“ファンタジー”自体もトム・トム・クラブが1981年にリリースした“悪魔のラヴ・ソング”をサンプリングしている。結局、この映画の音楽って80年代、90年代をリアルタイムで知っている30代後半から50代くらいを意識した選曲なんだよね。

実際、本作でもSNS担当の若いスタッフがギャグ担当キャラみたいな感じになっているし、最近のポリコレ観点ではどうなのって思うような下ネタも多いし、雑魚の悪役キャラは簡単に死んでしまうし、昔は変な制限がなくて良かったよねと思うような世代向けの作品なんだろうね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?