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ウィッシュ

本作はディズニー100周年記念作品、しかも感謝祭ウィーク公開作品なのに全米興行収入ランキングでは初登場3位と冴えないスタートとなってしまった。

CGアニメーションだけれど手描きアニメに見えるような作画をしているため(といっても、日本のアニメのセルルックと比べると明らかにCGアニメーションだが)、手描きアニメを古くさいもの、マニア向けのものと思っている米国の若者に受け入れられなかったのではという見方もある。

確かにひと昔前の米国ならそういう面もあっただろう。でも、「スパイダーバース」シリーズや「ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!」など、手描き風やアメコミ風など様々な作画をミックスしたハイブリッドなアニメーション作品が評価されているし、日本のアニメ映画もコンスタントに全米興収ランキングのトップ10に入るようになっている。

そう考えると、ここ最近の米国の若者はそれほど手描きアニメに対するアレルギーはないように思える。



ディズニーが劇場公開よりもDisney+での配信に力を入れているために、ディズニー映画はわざわざ劇場で見なくてもいいものと思われるようになったという側面は確かにあると思う。

また、配信独占作品と劇場公開作品のクオリティがそんなに変わらないため、尚更、配信でいいやと思う人も多いのではないかと思う。90年代から2000年代初頭に乱発されたディズニーのOVA作品は明らかに劇場公開作品よりクオリティが低かったが、最近の配信作品は劇場公開作品レベルになっている。というか、実写に関しては劇場公開作品の方のレベルが落ちているようにも思える。

でも、上映時間が3時間半近いアップル作品「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」が好成績をあげていることを考えると、配信作品だから劇場で見なくてもいいと思われているとは必ずしも言えないということだ。



となると、やっぱり、ディズニーのアイガーCEOが反省していたように過度のポリコレが観客に敬遠されてしまったとしか思えないんだよね。

実写だけれど、マーベル作品「マーベルズ」(おかしな表記になってしまった)の興行成績が振るわなかったのもそう。
実写版「リトル・マーメイド」は日本では興収33.7億円と健闘したけれど、ハリウッド作品が強かったはずの韓国でパッとしない成績に終わったのも、主人公の人魚姫アリエルを黒人に演じさせたことが嫌われたものだった。
最近、日本のアニメ映画が中国や韓国といった近隣アジア諸国のみならず、米国でも好成績をあげているのは、良くも悪くも日本のアニメがポリコレなんてお構いなしにエンタメやアートとして好き勝手に作っているから、ポリコレ仕草のハリウッド映画に疲れた人たちが、代替作品としで見ているというのもあると思うしね。



本作もご多分にもれず、ポリコレ仕草の作品だ。言い方は良くないかも知れないが、主人公は薄いとは言え褐色の肌だし、髪型はソフトではあるがコーンロウだから、おそらく黒人なのだろう。そして、祖父は白人に見えるが、黒人と思われる主人公の母親とは実の親子のように接しているのでおそらく、異人種間で結婚したのだろう。また、この母親をシングルマザーにしているのもポリコレ要素だろう。

さらに、主人公の親友をメガネっ娘で、しかも、常に杖を使っている少女、つまり、障害を持っているというキャラにしているのもそうだ。ディズニー本隊の長編アニメーションとしては前作にあたる「ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界」も障害を持つキャラクターが出てきたが(同作では犬だった)、ストーリー上、何の必要性もないのに障害者を出すのは逆に障害者を空気扱いしていることにつながると思うんだけれどね。それって差別でしょ。

黒人や障害者といったマイノリティの描写に加えて、ハンサムな人物を悪役にするのもポリコレ仕草の作品では好きだよね。既にネットニュースなどで明かされているからネタバレにはならないと思うが、ハンサムな国王が悪役だからね…。

異人種間カップルを描き、イケメンの白人男性を悪く描けばOKみたいなのはいい加減やめた方がいいと思う。

そして、本作を微妙な作品にしている最大の要因 は、いかにも大手企業の周年事業といった感じの上層部から押し付けられたテーマに沿うストーリーを無理矢理作ったことにあるのではないかと思う。

ディズニー映画のロゴで流れる名曲“星に願いを”にちなんだもので、なおかつ、これまでの名作にリンクしたような内容にしろという命題が与えられたのではないだろうか?

だから、主人公が後に「シンデレラ」に登場する魔法使いフェアリー・ゴッドマザーになることを示唆するような終わり方をしているのだろうし、エンド・クレジット後のオマケパートで祖父は“星に願いを”を作曲した人物として描かれているのだろう。そういえば、100周年記念大作とは思えないほど、というか、ここ最近のピクサーを含めたディズニーのアニメーションとは思えないほどエンド・クレジットが短めだった。制作期間を考えると、コロナの影響とかあったのだろうか?

まぁ、強引な“星に願いを”ストーリーを展開するためのキャラクター、その名も“スター”はクソ可愛いけれどね。この“スター”を見ているだけで、色んな不満も勘弁してやるかって気分になるしね。



ところで、本作の悪役である国王は国民から望みを奪い取り、それをエネルギーにして魔力をアップさせているという設定だ。また、国民は騙されているのにもかかわらず、それに気付かず国王を支持している。

その描写を日本の観客で少しでも政治的な意識のある者が見ると、嫌でも自民党とそれを支持する日本国民に見えてしまって仕方ない。
自民を支持すれば、税金は上がる一方だし、一部の上級国民を除けば収入なんて増えないのに、何故か、自民に投票するアホな国民だらけで、そのせいで、インボイスは強行され、中小企業やフリーランスは厳しい経済状態になっている。

そんな情景をそのまま映し出したようにも見えた。



同時上映の短編「ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-」についても一言。

何故、字幕版で「ウィッシュ」を見てもこちらは吹替版のみの上映なのだろうか?まぁ、出来の良い吹替版だから問題はないんだけれど。というか、「ウィッシュ」よりこちらの方が面白いし。そして、オリジナルが手描きのキャラは手描きのまま、CGのキャラはCGのまま出てくるのが面白いなと思った。

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