年末年始恒例イベントも無観客に…
年末年始恒例のイベントが色々と無観客開催になった。日本でいえば、レコード大賞や紅白歌合戦などの音楽特番が無観客になった。
堅苦しい進行のレコ大は観客がいてもいなくても、そんなに違いはないが、紅白はいない方が純粋に音楽番組として楽しめたような気がする。大泉洋がウザかったことを除けば好印象かも。演歌歌手のバックダンサーとしてアイドルや芸人が場を賑やかすみたいな演出がなかったり(リモートで似たようなのはあったけれど)、変な演出、それこそ、“ゴジラが出た!”とか“マツコとタモリが会場をツアー”みたいなものもなかったので、「うたコン」と「ジブヤノオト」の中間くらいな感じで見ることができた。
ただ、それによって改めて、紅白でわける意味がないよねということを認識した。番組開始当初は女性が男に勝てるかもしれないというコンセプトは意義があったのかもしれないが、男女平等の観点で考えれば、現在では逆に「男女差はあって当たり前ということを突きつける=男女平等は求めるな」ということにもなってしまうしね。
あと、偏ったフェミ思想を展開している人は認めないだろうが、実質は派遣が増えたりしているにもかかわらず、デート時の金銭負担は100%男だから、男の方が生活は苦しくてなっているしね。
というか、無観客開催で投票システムが変わった結果、ここ最近、ジャニオタの組織票により続いていた白組の勝利が途絶えたんだから、やっぱり、活性化の意味も込めて紅白という組み分けはやめた方がいいんだよ。それにしても、ジャニオタって金をかけずに投票できるものはなんでも投票するよね。「こむちゃっとカウントダウン(アニソンのランキング)」までジャニーズが上位を占拠するようになってしまったしね。
じゃ、東西対抗にする?ってなると、ほとんどの人は東京在住だから成立しないし、出身地でわけるとなったら、その出身地の定義は何?ってことになるしね。生まれた土地?義務教育を終えた時点での居住地?デビューするまでに住んでいた場所?というか、外国籍の人やハーフ、帰国子女は?ってなるしね。
かといって、若者とシニアでわけるのも違うでしょって感じだしね。40代なんて、帳尻合わせで都合のいい時だけ若者にされたり、シニアにされたりしそうだよね。新型コロナウイルスの感染拡大に関する報道やネットの声でも、若者と高齢者の対立が煽られているけれど、40代に関しては、感染者数に関する報道もほとんど伝えられていないし、若者には老害の中高年と一緒にされているし、高齢者からは好き勝手やっている若者と同じ扱いにされているし、困ったものだ…。
そもそも、歌合戦ってのがおかしいんだよね。バンドのボーカル担当以外はオマケなのかよって話だしね。そのくせ、YOSHIKIとかボーカリストでないアーティストをソロ名義で出演させたりしているんだから、支離滅裂なところはあるよね。
シンプルな演出になったからこそ、紅白のコンセプトが時代に合わなくなったってことを実感させられた無観客開催だった。
一方、米国では、ニューヨークのタイムズスクエアでのカウントダウンイベントも無観客開催になったようだ。ただ、CNNの映像を見ると例年よりは大幅に少なくはなっているけれど、それでも結構な人出に見えた。
どうやら、医療従事者などが招待されているらしいが、カウントダウンの際には、この人たちが大声で、「10、9、8、」って叫んでいたが、米国って、医療従事者ですら、この程度の危機意識しか持っていないんだなと呆れてしまった。結局、左右問わず、そんな意識の連中が米国には多いから、アレだけ感染が拡大するんだろうなと改めて思った。
そして思った。コロナ禍でも、いつものルーティンは変わらないんだなと。「イマジン」のカバーのパフォーマンスが行われた後に、カウントダウンが始まり、日付けというか年が変わると「蛍の光」が流れ(欧米では年が変わってから流れる=始まりの曲だけれど、日本では卒業式で歌われたり、閉店BGMとして使われたりすることもあって、終わりの曲として大晦日の間もなく日付けが変わる頃に演奏されるんだよな…)、そして、フランク・シナトラの「ニューヨーク、ニューヨーク」といういつもの流れだったしね。
そして、新年を迎えたカップルがキスをする光景は今年も見ることができた。まぁ、今年はマスク越しだけれど。でも、個人的にはマスク越しのキスってエロい感じがして好きなんだよね。
それから、コロナ禍であるorなしにかかわらず、新年を迎えた世界各地の映像ってニューヨークと日本以外はどこも同じだよねってのを改めて思った。ほとんどの都市は花火を打ち上げているだけだからね。名所とか地元民の顔とかを映し出されなければ、どこだか分からないよね。あと、花火がないのは日本だけだよね。ニューヨークは花火はあるけれど、それ以外の要素の方が多いから、他の都市とは見た目が完全に違うんだよね。
そして、元日恒例、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートも無観客開催となった。バレエダンサーのパフォーマンスは例年通り、演奏にインサートされるだけだから、その辺はほとんど変化がない。
でも、観客がいないから、曲間の拍手がないのはちょっと寂しい。まぁ、客席に誰もいないこと自体、寂しいけれどね。着物姿の日本のオバサンを客席に発見したりして、“こいつ、まだ、バブルの世界に生きているんだろうな”と心の中でバカにしたり、最近増えてきた客席の中国人を見て、“日本はやっぱり、中国に追い抜かれたんだな”と再認識したり、同じく最近増えているスマホで撮影している客を見たりとか、着信音が聞こえたりした時に、“時代も変わったな”と実感したりするのを楽しみにしていたが、それらができないのは寂しいなとは思う。
というか、曲間で無音が続くと放送事故に思えてしまう。まぁ、第一部や第二部の終わりといった箇所では、事前登録した視聴者によるリモート拍手というのをやっていたけれどね。アイドルのリモート握手会みたいで、ちょっと面白かった。それから、楽団員が拍手のかわりにバウで譜面を叩くのも面白かった。
そして、アンコールはいつもとは若干変わった仕様になっていた。
アンコールの2大お約束曲の1曲「美しく青きドナウ」は通常では、頭の部分を演奏しだしたところで演奏をストップさせて、ちょっと観客の笑いを誘った後、挨拶してから、きちんと演奏するというのがお約束のパターンだったが、今回はコロナ禍におけるエンターテインメントのあり方について語った後、新年の挨拶をし、例年のギャグ演出もなく演奏に入っていった。
また、例年では演奏中にドナウ川の映像がインサートされるが、今年は全編ホール内の演奏風景のみで構成されていた。まぁ、コロナ禍でロケが難しいんだろうね。
そして、もう1つのアンコールお約束曲で、これまで、スマトラ島沖地震の直後で演奏されなかった2005年を除けば、毎回、コンサートの締めの曲となっている「ラデツキー行進曲」は、観客が手拍子で参加することで大いに盛り上がる曲となっているが、今年は無観客なんで、どうなるんだろうか?もしかすると、第一部や第二部の終了時みたいに、リモートで視聴者が手拍子をするのか?と想像してみたりもしたが、全編、オーケストラの演奏のみで通す形が採用されていた。イントロのドラムもカットされていたし。でも、意外と、このバージョンもいいなと思ってしまった。まぁ、寂しいことは寂しいけれどね。
それにしても、無観客開催の影響か、今年の中継は音声がブツブツ途切れることが多々あったな。
ちなみに、この年末年始で私が通常やっているのに今回は諦めたものは以下の通り。
●1月2日の朝風呂
毎年1月2日は自宅から徒歩1分の銭湯の朝風呂に行っていたが、今年は断念した。コロナ感染のリスクを考えたら行けないよなというか、そもそも、例年、この朝風呂に行った後に風邪をひくことが多いんだよね。年末年始で遊びほうけて色んなところからウイルスをもらっている人が多いから、ウイルスが蔓延しているんだろうね。そういう、これまでのことを考えたら、とてもではないが、朝風呂なんて行けないよな。
そういえば、この銭湯、今の住居に引っ越してきたばかりの頃は毎週日曜日に行っていたんだけれど、半年もしないうちに日曜日の夜に出社するシフトになったから、朝風呂の日を含めて年に数回しか行かないようになったんだよな。そして、気づけば、朝風呂の日だけの利用になっていた。まぁ、コロナが収束・終息しない限り、朝風呂に限らず、銭湯に行くことはないだろうな。
●風俗やメンズエステ
大抵、年末年始休みの期間中って寝ようと思っても寝れない日が何日かある。酒が残っているとか、気温の変動とか、年明けの仕事に対する不安とか、理由は様々だが。
なので、そんな睡眠不足状態で目覚めた時には、とても映画を見に行く気分にならないことがある。少なくとも上映時間が2時間を超える作品は見る気力が起きない。そして、男というのは、睡眠不足など体調が悪化すると種族保存本能が働き、ムラムラとしてくるものである。なので、風俗とかメンズエステへ行き、密着したくなってしまうのだ。困ったものだ。休みが6日あれば、そのうちの2日くらいは、そういう気分になるが、今年は1日もそういう店を利用することはなく終わりそうだ。
おそらく、ちょっとでも風邪の引きはじめのような症状がある時に、こういう店を利用すると、コロナに限らず、インフルだなんだといった病気のウイルスをもらってきてしまう可能性が高い。だから怖くて行けないというのが本音だろうか。
果たして、今年の年末から来年の年始は通常に戻っているのだろうか?それとも、コロナ禍は続いていくのだろうか?全く読めないよな…。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?