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一度愛した女をなぜ二度愛せないのか

昨日,頭をフル回転させて考えたことである.
「石井,頭がおかしくなったか」と思うかもしれないが,これが僕の思考の整理法である.といっても理解されないので,僕の頭はいつもおかしい.

説明を書くと,野暮ったいが,説明しないと理解されないので,少し書く.
僕は,選手とコーチが化学反応を起こすような媒介者でなければならない.僕の考えている僕の仕事は,世界をみても当てはまる役職名がない.科学者でもないしマネジャーでもないしパフォーマンスディレクターでもない.でも,やろうとしていることはシンプルで,現場で最善の化学反応が起こることを目指す.なぜ,そう考えているのか.僕は,コーチとして現場に立つわけではないし,科学者のような情報提供では変化が起こらないことを知っているからである.
科学者の問題は,「働くもの,感じるものの思想に価値がない」と思い込んでるところである.エビデンスに根がある(科学的根拠)科学者と現場に根がある(一次的現実)コーチの違いを理解しなければ,独りよがりのまったくの役立たずになってしまう.だからこそ,額に汗して働く人たちが独自の思考を生み出すことを見逃してはいけない.彼らの「悩み」そのものも同じで,科学者にはわからない「事実」がそこにある.

で,昨日頭をフル回転させたことを記録として残しておきたいので,久々にブログ(weblog|ウェブ上の記録)にしている.
まず,「理解できないこと・わからないこと」をそのまま曖昧な状態で終わらせないことが大事だ.で,何をするかというと,対話を通して,抽象のはしごを登ったり降りたりする.これにはいろんな方法があるが,説明していると時間がかかるので,今回は控える(講演に呼んでくれたら喜んで話しますが笑).今回用いたのはアナロジー(類比)である.「物事の間の特定の点での類似性から,他の点での類似性を推論すること」であるが,簡単にいうと「たとえていえば〜〜のようなものだ」にしてみることである.今回,現場の悩みを聞いているときに,まったく理解できなかったので,どうにか自分の経験で同じような状況を考えたときに出てきたのが,「一度愛した女をなぜ二度愛せないのか」という状況だった.
若い頃,今(いま)再現することができないくらいに人を愛することができた.理由を探すこともなく,夢中になり,熱中し,没頭した.一日中その子のことばかり考えてるし,集中しなくていいのに,集中力が凄まじかった.人間らしく,あまりにも非合理的で,時間の使い方も悪く,毎日母ちゃんから勉強しろと怒られる.でも,そんな母ちゃんのどデカい声も聞こえないくらい集中している.そこには,理由もないし,「損得勘定」もない.でも,今はどうだろうか.人を愛するために(家族愛は除く),先に理由を探しているし,「損得勘定」で意思決定をしてしまう.「失敗」や「人の目」が恐いのかもしれない.なぜ,そうなってしまうのか.これが頭をグルグル回る.
で,もっと難しい問題は,あの時あれだけ愛した女と離れて,夢中・熱中・没頭から覚めてしまったとき,ふと冷静に「なぜ好きだったのか」と理由を探し出したら,急にその人を愛せなくなってしまう.もちろん離れた当初は逃れられないくらいに怒りや苦しみが湧いてくるが,それが冷めたときの話である(もちろんずっと冷めないケースもある).もう一度,愛そうと思っても愛せない.その人のことを考えようと思っても注意力散漫で,別のことを考えてしまう.まったく逆の状態になってしまう.この状況が極めて興味深く,重要な問いだと思った.実は,この頭グルグルの中で,同じ状況が別にもあった.それが「子どものころの夢」である(現場の問いに近づく).
この「子どものころの夢」は魔法の言葉で,これが悪いものだと思うことはまったくない.純粋で初心(うぶ)な自分が持った夢は素晴らしいものだと思い込んでいる.昔,夢に向かって突っ走っていた自分と,魔法が解けて,ふと冷静になった自分を比べると,あまりにも状況が似ていることに気付かされる.子どものころの夢は「オリンピックで金メダル」.言葉通りの夢の中,夢中になり,熱中し,没頭した.でも,いったん冷静になってしまうと,資本主義の上に乗っかったスポーツで,優越性を証明したい欲求に負け,「勝ち負け」だけの世界のトップに立つこと(その後の人生も過去の栄光にすがり続けること)にどんな意味があるのだろうと考えてしまいだすと...もう一度それを「夢」にできる気がしない(もう一度人生がやり直せると考えたとき).
どうも魔法が解けてしまったようである.魔法が解けたあとに残るのは「損得勘定」だけで,意思決定をして損より得が大きければ継続する,くらいの動機(モチベーション)しかない.そこに,夢中も熱中も没頭も帰ってこない.こんな状態(今を記憶した状態)から,バックトゥザフューチャーのように過去に戻ってやり直せるかが,僕に課せられた問いである.
それを具体化するために,自分の経験になぞってみたのが,アナロジーで「たとえていえば〜〜のようなものだ」というやつである.それで,思考を整理してみた.
なぜ,こんなことが起こるのか.脳の分泌物や快楽のようなもので説明できる部分もあるが,そんなことより,戻れるのか,もしくは別の価値観を生み出して,戻ったような状態にできるのか,これが頭の中をグルグルしていた(宗教のような方法もありうるのか,とか).朝,目が覚めて,とりあえず,この頭フル回転を記録に残しておきたかった.

もし,これに関する専門家の方でよい論文があれば紹介してください.参考にしてみます.
最後に,この記録の中で,夢から覚めて夢じゃなくなった時の話で誤解がないように書いておくと,僕は「夢」を達成することがどれだけ難しく大変なことかはわかっているので,それを達成した人を尊敬しています.そこは,また違う話なので誤解がないようにお願いします.

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