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Googleマップが騒がれてた日に伊能忠敬のお墓に行ってみた話(稲荷町)

この日、界隈では「Googleマップ劣化」という話題で盛り上がっていた。それまで使用していたゼンリンとの契約を解除し、自社データでの運用を始めたとかなんとか。長い目で見れば正しいのかもしれないが、直近はユーザー的には結構辛い。ゼンリンのきめ細やかなデータの尊さを知った。

僕もたまに地図を描いたりしており、地図には昔から興味を持っている。昨今のスタートアップ界隈で「地図」と言えば僕のことを想起してくれる方も多いとは思うが、全体で見れば伊能先生には全くかなわないのである。そんなわけでオフィスのwifiの調子も悪いこともあり、伊能忠敬ゆかりの稲荷町へと旅立った。

稲荷町なんぞ行ったことないが、銀座線で渋谷から一本で行ける、意外な好立地にあった。

駅から地上に出ると仏壇屋さんの多さに驚く。そうか、稲荷町っての仏壇問屋の街なのか。駅前にどーんとお店を構える「翠雲堂」さんは山口もえさんのご実家でもある。

稲荷町から田原町への道が仏壇街となっており、行けども行けども仏壇屋さんばかりが並んでいる。「翠雲堂」の勢力高め。
松が谷一丁目の信号を左折し、住宅街に突入。よくある下町の風景が広がる。碁盤上に整備された道が良い。

しばらく進むと個性豊かな開いてるのか開いてないのかよくわからないお店が現れる。

(「オープンしています」と書いてあるからきっとオープンしてる)

(たぶんやってない)

成田童夢氏が経営するカフェもあった。2階にはどこかの会社が入ってるようだ。)

このあたりは自社仏閣が多い。仏壇問屋になったのもその理由か。どこのお寺が伊能忠敬の墓所なのか…うろうろしていると、路上駐車の影に立つ石碑に気が付いた。

お!これだこれだ。伊能忠敬が眠る浅草源空寺を発見した。「失礼します」と柵を開けて中に入ってみる。どれが伊能忠敬のお墓かな?と探す間も無く発見。伊能忠敬のお墓の隣には、忠敬の師匠である高橋至時のお墓もある。師匠と弟子のお墓が並んでるってのも良いものだ。

こちらが伊能忠敬のお墓である。高橋至時、伊能忠敬のお墓に手を合わせる。「良い地図が描くようがんばります」と心の中で告げた。

源空寺を後にし、軽く散策しながら帰路についた。木蓮がキレイに咲いていた。この胸像の方はぞんじあげない。きっと名のある御仁に違いない。

最後に行ってみたいとこがある。このあたりの地図を見てていつも表示さてて気になっていた「我国ゴム工業誕生の地」である。行ってみるとひっそりと碑が立っていた。上野小学校の入り口付近にそれはあった。極めて普通の碑ではあるが、確認できて良かった。

(おわり)

街歩きで生計をたてて生きていきたい...