【離婚協議2日目】家族のために転勤?! (+母の人生哲学がぶっ飛んでる件)
まさかの展開が。
上司から、「名古屋方面に、転勤あるかも。」との正式(?)な呼出しが。
『転勤の理由は2つ』
そろそろ、本社(名古屋)にいってほしい。
家族と会いやすいように配慮した。
①については、本当にありがたいこと。実力以上の評価。
問題は②ですよ。
おいおい、と……
もうすでに、3年以上も娘に会えていないんだよ……
配慮されても……
なのでこれから、離婚協議と転勤(引っ越しなど)を同時進行することになりました。
絶対に大変だよねー。体力おちて風邪をひく自信がある。
とはいえ、前向きに捉えます。
少なくとも、協議で面会を勝ち取れば
名古屋から会いやすくなるのも事実。
人生を楽しもう。
未来はきっと、明るい! 前向きに。
半年ぶりに、母と電話をしました。
離婚協議を進めていますよー。と、報告。
そして、母なりの人生哲学について、初めて耳にすることに。
私はお見合い結婚なので、好きな人と結婚できなかった。(おとん…笑)
イヤな結婚(半ば強引)だったので、結婚生活に不満を言う権利くらいはあると考えて生活してきた。
申し訳ないけれど、子どもにも夫婦仲が悪いことが伝わるような生活をしてしまった。
たしかに! めーっちゃ仲悪かった!笑
一人の女性として自由恋愛が実らなかった過去を、ずっと悔んで生活していたのか。
なるほど、なるほど。
そこで一言。
「私に向けて言いたいことがある。」
と。
……うん?? え??
それ、なんの意味があるんだ? どういう意味だ?
よくよく聞くと、こういうロジックらしい。
好き同士で結婚したなら、二人の関係にはそれぞれ責任をもつべき。
好き同士で結婚したなら、子どもに対しても重い責任をとるべき。
なので、「離婚するけど、ママのことは好きだよ。」って、伝えよう。
個人的には、めちゃくちゃ意味不明で、ブッ飛んだ理論でした。笑
理解できる人、いるのかな??(わかる人はコメントください。)
自分が考えている、「親として」の子どもへのスタンスを書いておきます。
結婚の経緯がどうであれ、二人の関係にはそれぞれが責任を持つべき。
結婚の経緯がどうであれ、親として子どもに対しての責任は変わらない。
子どもへ「お互い好きなまま」の幻想を見せることが正しいとは思えない。
無理に結婚させられようが、両想いで結婚しようが、
自分が選択肢を持って選んだ道の先に、子どもが産まれたならば
子どもへの責任は変わらない。そのはず。
仮に、非人道的な行為による妊娠であれば、また別の話ですが
少なくとも、勇気を持って結婚を断ることは出来たはずの立場。
その変化を恐れてしまったのは、母のほうなのだ。
であれば、子どもへの責任について「軽い」「重い」なんて存在しない。
みんな、平等。母にも責任がある。
子どもの頃を思い返すと、
父親へのグチや嫌味を、頻繁に口にする母親が大嫌いだった。
そんなこと言うなら、離婚してほしかった。
さらにイヤだったことは、
「あんた(自分を含む子ども)がいなければ、離婚してたよ。」
なんて、言われた時。
「あんたがいなければ、幸せになれたのに。」
と、言われているような錯覚に陥ったものだった。
なのである意味、いまの自分の考え方は、
母を反面教師として成り立っているのかもしれない。
娘の前では、幻想のような幸せな姿をみせるのではなく
本当の大人の姿をみせたい。
決して、綺麗事だけでは通用しない、ありのままの姿。
そもそも、嫁自身がキャパシティをオーバーしていたので
綺麗な世界を見せることなんて、不可能だった。
娘の前で怒鳴るし、舌打ちするし、ネグレクトするし。
(キャパが少ないことは責めない。でも、虐待はダメなこと。)
ありのままの姿だ! それでいいんだ! なんてことは一切、思わない。
自分も行動できる中で、できることはしてきたつもりだ。
それでも、お互いに限界だった。これ以上は無理。それだけ。
嫁の実家で義父母と生活しているので、少なくとも今は虐待はしていないはず。
(今となっては、確認できないので少し不安は残っているのだが。)
自分がいない方が喧嘩もせずに済むなら、なおさら離婚したほうがいい。
嫁が怒鳴り散らしている時の、娘のあの顔を思い出すと、また泣けてくる。
もうあんな顔にさせたくない。怖がらせて本当にごめん。
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