見出し画像

道草を喰む小さな実践。

いったいいつ以来だろう。体験型ワークショップに参加してきた。
コロナ禍前、とびラー仲間だったグループで展示するというので、そこに出かけていって、そのとき拝見した別の作家の方のお一人・水野渚さんの「Forage the Poetry:道草を喰う。詩の奏作ワークショップ」というもがそれだ。

主催者水野渚さんが告知に使った画像
水野さんの画像を拝借した

どうもよくわからなかったが、ワークショップの開催場所となっているComorisという場にも惹かれて、申し込んだ。
わからないものに身を晒す。その感覚を忘れかけていたので、もう一度、そうした振る舞いに慣れる良い機会になるという予感もあった。

〝forage〟とは食料などをせっせと探し回る意と辞書にある。が、タイトルでは探し回るのは〝the Poetry〟、「詩」である。

主催者であるアーティスト水野渚さんが自分の体験を参加者に話している画像
フィンランドでの体験をシェアする水野さん

まず主催者である水野さんから、自己紹介に続き、交換留学で行ったフィンランドでの野草採取体験が紙芝居仕立てで披露された。その中で、フィンランドでは、〝Everyman's right〟(自然享受権)があることが紹介された。これは、土地の所有者に迷惑をかけない限り、誰でも森の中に入っていいし、そこに生えているキノコやベリーを採っていいという権利のことだ。自然は土地所有者だけのものではなくみんなのものであるという共通の認識の上に成り立っている権利だ。
水野さんはその権利を行使し、野草に関心を向ける。野草を愛でるだけでなく、色を抽出する、煎じて飲む、ハーブのように口にするなどなど。

私たちが道ばたの雑草をみて、果たしてこれは口にしてよいものかどうか逡巡するだろう。口にしても大丈夫だと知ったとしても躊躇いが心の奥底にあるのはなぜなのか。そんなテーマを孕む水野さんの小さな物語も参加者にシェアされた。これは、ハルとアキという同じ森の中で育った幼なじみの物語。時が経つにつれ森の惠をこれまで通り享受できなくなっているアキと、森の惠のもてなしこそが幼なじみに対する一番のもてなしであると考えるハルとのささやかな気持ちのすれ違いが描かれる。

「もも色のお茶」という物語の冒頭のテキスト。アキの家の裏には、大きな森がある。で始まっている。
「もも色のお茶」(水野渚著)の冒頭

詩を探し回るというのは、野草がいくつものメッセージをもっていることから来ているのだろう。ワークショップの参加者は、都市の中に野草を探しに出かけ、採取した野草から言葉を紡ぎ出す作業に移っていった。

住宅街に自生するムラサキカタバミの画像
ダクトのあたりにムラサキカタバミは咲いていた

私はムラサキカタバミを手にした。そして花の色に近い色鉛筆で、数行の文言を認めた。そこでミントティーが供され、参加者やComorisの人などと少し話した。

持ち帰ったムラサキカタバミと花の色に近い紫の色鉛筆
Comorisに持ち帰ったムラサキカタバミ

わが家の庭に生える草たちは、闘いの相手だ。夏を前に根こそぎ抜きたくなる手強い相手でしかない。少しずつ植生の変化がある草たちの、せめて名前でも調べてみようか。牧野富太郎が言うように「雑草という名の草はない」のだから。

■概要
「Forage the Poetry ~道草を喰う 詩の奏作ワークショップ」
コモリス代々木上原
2024年6月9日 終了


サポートしていただけたら、小品を購入することで若手作家をサポートしていきたいと思います。よろしくお願いします。