沈思酒考-04 「サンフーヤン・グランクリュ」

沈思酒考 〜それはビールを飲みながら、溶け出す輪郭なき駄考の戯れ〜

エールスミスのグランクリュを飲んだので、グランクリュつながりでサンフーヤンのグランクリュ(St. Feuillien Grand Cru)を買ってみた。

サンフーヤンという醸造所の名は、七世紀にアイルランドの修道士・聖フーヤンが福音を説くために大陸を訪れたという史実に因んでいる。フーヤンは現在のベルギー・エノー州のル・ルゥという町のあたりで迫害を受け処刑されてしまうのだが、後にそこに彼の名を冠した修道院が建てられる。そこではずっとエールがつくられていたらしいが、フランス革命でこの修道院も破壊されてしまうのだ。現在のサンフーヤン醸造所の起源は19世紀からということらしい。日本が日清戦争を戦っていた頃だ。「サン フーヤン・シリーズ」を醸造していたフリアー醸造所がサンフーヤン醸造所を名乗るようになったのは1950年から。今でも1894年(明治27年)に建てられた醸造所が使われている。

ル・ルゥという街の名を聞くと、どうしても脈絡なく『ルル・オン・ザ・ブリッジ』を思い出してしまう。ポール・オースターが脚本・監督を務めた映画。ハーベイ・カイテルが主演だ。

演奏中に発砲事件に巻き込まれ、一命を取り止めたサックス奏者イジー(ハーベイ・カイテル)。絶望の日々の中で、ふと見知らぬスーツケースを持ち帰る。その中には封印された箱があり、それを開けるとそこには不思議な碧い石とナプキンに書かれた電話番号。

その電話番号に電話を掛けると、駆け出しの女優セリアが出た。二人は恋に落ちる。やがて彼女は古典的な名画『パンドラの箱』のリメイクのヒロイン、ルル役に選ばれる。

イジーは石の行方を探す謎の一味に監禁され行方知れずとなってしまう。イジーを身を案じ悲観したセリアは、ダブリンの川にその石を捨て、自らも橋から川に身を投げる.....。シーンは発砲事件の直後に戻り、イジーは救急車の中で息絶える。死者となったイジーを乗せた救急車が通り過ぎるのを見て十字を切ったのはセリアだった。

思い出すだけで、不思議な感情に包まれる。不思議な出会い。大事な人の存在が欠落することで、次の欠落が生まれていく。そして二人は、出合えなかった二人として接点をもつことなくすれ違っていく。

フーヤンの欠落はルルゥの地に何をもたらしたのだろう。それは信仰の心だったかもしない。が、修道院は壊され欠落は繰り返される。時は流れ、フーヤンの名がビールとともに蘇る。ルルゥの街で。

グランクリュというのは、畑の等級とは関係なく、そのブランドの最高級であることを表現しているらしい。

ボトル裏の日本語ラベルを見ると、

「最上級のホップを使用した、輝きのあるブロンドビール。ボリューム感もあり、深く芳醇な味わいです」とある。

アルコールは9.5%。原材料は、麦芽、ホップ、糖類とある。ベルギービールというと想起されるオレンジやレモンのピール、コリアンダーシードなどは使われていないらしい。

コルクを抜いて、ワイングラスに注ぐ。金色に輝く液体にわずかに濁りがあるか。ボトルの表示だと8度から10度くらいが飲み頃だとある。温度は10度くらい。

最初に、蜂蜜のような香りが届く。そこに柑橘系のニュアンス。口に含むと、ちょっと表現しがたい味がする。そしてホップが強く主張し、口中をきりりと切っていく。その最後に酸味が舌を捉える。

そういえば、エールスミスのグランクリュを飲んだときは、庭一面が雪に覆われていた。今その庭には、小さな緑がはびこり出している。

「雑草という名の草はない」

詩人の工藤直子さんにエッセイを書いてもらったときのタイトルだ。

いつの時もそうだが、面識のないそれなりの方にオファーするというのは緊張するものである。工藤さんにお願いしたのは、昭和の昔。私も若く、電話をかけるのに相当勇気をふりしぼった記憶がある。

会社名を告げたところで

「あら」というリアクション。

その当時私が勤めていた会社のことを工藤さんは知っていたのだ。詳しい経緯を聞こうとしても、「あなた、全然知らないんでしょ。敢えて話すことでもないわ」と意味深長な答え。

結局、どんなつながりがあったのかは教えてもらえなかったのだが、仕事は受けてもらえた。そして書いてもらったのが「雑草という名の草はない」というエッセイだった。

このエッセイが表に出ると、知り合いのカメラマンから電話がかかってきた。あのエッセイはよかったと。彼はのちに「ランクル大王」となる。

さて、これと似たフレーズがどこかにあったな。

「とりあえずというビールはない」

グランクリュという名は、豊穣なビールの世界に放たれた自信作であることを示しているのだ。とりあえず飲むものでは決してないし、とりあえずでこのビールが出てきたらびっくりしてしまうに違いない。

須賀敦子さんの『ミラノ 霧の風景』にこんな話があった。

「あるとき、ミラノ生まれの友人と車で遠くまで行く約束をしていたが、その日はひどい霧だった。遠出はあきらめようか、と言うと、彼女は、え、と私の顔を見て、どうして? 霧だから? と不思議そうな顔をした。視界十メートルという国道を、彼女は平然として時速百キロメートルを超す運転をした。『土手』にぶつかるたびに、私の足はまぼろしのブレーキを踏んでいた。こわくないよ、と彼女は言った。私たちは霧の中で生まれたんだもの。」(*1)

土手とは、深い霧が塊のように見えたときのことらしい。霧の中で生まれ育ったミラノっ子は、霧なんておちゃのこさいさいなのだ。

サンフーヤン醸造所となった1950年。その頃はまだミラノもずいぶんと霧深かったのだろう。

霧の町、ミラノ。ビールの国、ベルギー。サンフーヤンがあることが当たり前の彼の地で、「とりあえずビール」は理解されないだろう。

ル・ルゥの町でル・ルゥっ子を気取ってサンフーヤン・グランクリュを飲んでみたくなった。きっと、酩酊した脳の中で、フーヤンとル・ルゥが出合い、イジーとルルがすれ違うことだろう。

¡Hasta la Vista!

*1
須賀敦子全集第一巻 河出書房新社「ミラノ 霧の風景」11頁〜12頁

*本コラムは日本ビアジャーナリスト協会公式サイトに掲載した原稿を加筆訂正したものです。

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