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「根無草のコスモポリタン」ー帰国子女であり宗教二世の私のこれまで

どこかの本に綴られていたのか、それとも誰かが口にした台詞だったのかは、もう覚えていない。
ふとした瞬間に出会ったその言葉は、多感な時期の私の心を激しく揺さぶり、以降、人生の節目節目で私を決して愉快ではない気持ちにさせた。
喉の奥に刺さった、魚の小骨のように。

「根無草のコスモポリタン」という言葉が、ポジティブな文脈で使われることは殆どないだろう。
元々は、バビロン捕囚により故郷を失い、各地で生きるためにその土地の文化に同化せざるを得なかったユダヤ人に対する、反ユダヤ主義側からの揶揄という意味合いが大きいそうだ。
今では、一つの地に定住せずに世界を飛び回る人を指して、「多言語を操れて様々な国の文化を知っているとしても、どこにも帰属意識を持てないのでは、結局は根無草のコスモポリタンじゃないか」という批判としても使われているように思う。

私がこの言葉に触れた時、意味はよく分からなかったものの、何故か「ばれた。恥ずかしい」と咄嗟に感じたのを覚えている。
幼い頃から国を跨いだ引っ越しや転校を重ねたことが、「祖国」や「母文化」といったものに対する帰属意識を薄めさせてきた、というのも一因かもしれない。
けれど、日本に帰国してから十数年も経つにも関わらず、私がこの言葉に過敏に反応してしまうのは、もう少し広義の意味合いの帰属意識に関係している気がする。

実際に、海外で暮らしていた時は、ナショナリズム的な文脈での帰属意識を持つのは容易だった。
日本人が身を寄せ合うように暮らすマンションで生活し、買い物に行けば日本人だからと高値をふっかけられ、学校のイベントでは浴衣やセーラー服(日本のアニメ人気の影響で、セーラー服は海外人気が高い)を纏い、歴史の授業で真珠湾攻撃が扱われる日は憂鬱だった。

あれは私が高校1年生の時だったと思うが、インターナショナルスクールに通っていた頃、アジア系であるが故に差別を受けたと感じ、教職員に直接抗議したことがある。
その学校では、昼食の時間になると子供たちはカフェテリア(学生食堂)でバイキング形式のお昼を食べていたが、幼稚園生から高校生が在籍するため、一斉にカフェテリアに押し寄せては席が足りなくなってしまう。
そこで、一定以上の年齢の子供たちは、ランチタイムから15分ほど遅れて入室しなければならない、というルールがあった。
ただ実際には、欧米系の生徒はランチタイムと同時にカフェテリアに入っていても見逃されていた時期があった。
私たちが少しでも早く入室しようがものなら厳しく咎められるのに、と不満を募らせた私は、同じ学校に通う妹と一緒に、欧米系の生徒が早い時間に昼食を楽しんでいる現場に乗り込み、そこにいた教職員に訴えた。何故この生徒たちは早めに入室することが許されているのか。これは差別では無いのか、と。
抗議を受けた教職員は酷く狼狽え、差別したつもりは全くなかった、これからは彼らに注意するようにする、と約束した。

今振り返れば、普段から自分を主張することの少なかった私が、しかも上手くはない英語で、よくあそこまで堂々と抗議できたものだな、と感心する。
欧米系のクラスメイトとの関係に悪影響をもたらすのでは無いかとか、学校での居心地が悪くなるのではないか、といった気持ちはなくもなかったが、それ以上に、日本人だっていつも大人しく黙っている訳じゃ無いぞ、という反発心が、思い切った行動を取らせたのだと思う。

このエピソードのように、海外で暮らしていた時は、日常において事あるごとに自分が日本人であるということを意識する機会があった。いや、せざるを得なかったのだろう。
「根無草のコスモポリタン」という言葉がより辛辣な皮肉のように感じられるようになったのは、日本に帰国してからだ。

教室で同じ髪の色の生徒たちの中に混ざっても、街で同じ言葉を使う群衆に紛れても、どこか心許ない気持ちが拭えなかった。
むしろ、母国で同じ日本人として他者と接する際には、あらゆる面で同質・類似であることを前提とするが故に、僅かな差異が目立ってしまうのだということに気がついた。
同じ幼稚園に通っていた友人の話、小学生の頃に流行っていたゲームの話、中学校で人気だった先生の話、数年前に地元で起きた出来事の話・・・クラスメイトと同じ物語を共有していない私は、話題についていけない場面に度々遭遇した。

また、私の母親は私が幼い頃からとあるキリスト教系の新興宗教を信じており、私も中学生までは聖書を学んでいた。
その宗教では、同じ神を信奉する仲間を「兄弟・姉妹」と呼び合い、それ以外の人間を「世の人」と、どこか哀れみと軽蔑を含んだ呼称で区別していた(少なくとも私はそう捉えていた)。
私はその宗教が説く、世界には白か黒しかない、といった二元論的な思想や排他的な教えに違和感を感じ、中学生で「世の人」になったのだが、幼少期から教え込まれた価値観はなかなか消えてくれない。
他者とコミュニケーションをとる際、私はあなたたちとは違う、という優越感と劣等感でごちゃ混ぜになった感情に襲われ、自己嫌悪に陥ることも多くあった。

それでも、学校は楽しかった。波長の合うクラスメイトとは些細なことで爆笑し、翌日腹筋が筋肉痛になることもあった。
母親とは宗教的な面では分かり合えることはなかったが、愛情を注いで育ててもらい、一心に勉強に打ち込むことのできる不自由のない環境で育った。
それにも関わらず、拠り所のなさが消えることはなく、時折、あの言葉が呪いのように頭の中で繰り返された。

大学に入学し、哲学、宗教学、心理学、文化人類学等の学問の表面をなぞるのが楽しくてたまらなかった私は、フランスの哲学者・サルトルが述べた言葉に出会い、雷に撃たれたような衝撃を覚えた。
それは、「人間は自由の刑に処せられている」という言葉だ。
人間は、自分がどう生きるかを自由に決めることができる。だからこそ、決めた責任は自分が全て引き受けなくてはいけない、という、根源的で逃れられない自由、言い換えれば刑罰を負っている。
私はそれまで、自分が何を拠り所とするか、精神的な意味でどこに帰属するかを、主体的に決めようとしたことはなかった。
ただ親に勧められた高校に編入し、宗教から逃げ、居場所がないなあ、とぼやいていただけだった、と実感した。

他にも、様々な哲学者が遺した言葉に救われ、支えられたと感じているものがあるが、それが宗教と何が違うのか、と考えてしまうこともある。
程度の差はあれど、ある対象に救いを求めるという行為自体は、本質的には宗教とあまり変わらないのかもしれない。
そうであっても、自分で見つけた言葉、自分で選択した道なのだと実感できれば、例え刑罰に処せられることになったとしても、後悔はしないだろう。

救いと思われた哲学の格言に出会っても、人間は本質的には変わらない。
憧れだった職場に就職しても、趣味の友人の輪が広がっても、大好きな人と結婚しても、歳を重ねるごとに、結局人は孤独だ、と実感する。
でもそれは、一人の自立した人間として、自分自身を帰属先として認めることが少しずつできているからかなとも思う。
これから先も、「根無草のコスモポリタン」という言葉が私を責め、恥じ入らせることがあるかもしれない。
けれど、それは今や一種の自戒の念として、私の中の本棚で、哲学者達の名言の横に並べてある。

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