人生の最期になって後悔しない生き方
分刻みで会議がある。
大事な商談にいどむ。
怒涛のようなタスクをこなす。
リアルタイムではとても充実した時を過ごしている。けど忙しい時が終わり一日を振り返る時。何をしていたか思い出せない。どんな話しをして何をしていたか。何してたっけ。。。?なんだか頭にモヤがかかってしまい記憶もあいまいで。
突然ですがそんなことって無いですか??私は結構あります。確かに忙しい一日で切れ間なくたくさんの作業をしていたのに。時間もあれだけ投入したのに。
一日の単位に限りません。忙しい時期だったり。忙しい一年だったり。いずれもその時々では充実した時間を過ごしていたはず。でも後から振り返るといまいち何をしていたのか、どんな感覚だったのか思い出せない。記憶そのものがおぼろげになってしまいます。
早いものでもうすぐ50歳。自分の人生を振り返ってみました。過去には成功したと言えるプロジェクトもありました。胸を張れる努力も確かにあった。その頑張りの延長として築けた社内でのポジションもあります。
でも後から振り返るとどうしても思い出と呼べるほどの記憶がないんです。何十年も会社員をやっていたのに。たくさんのことをしてきたのに。振り返ってみれば同じような一年と同じような出来事を何十回何百回と繰り返しているだけじゃないか。そんな感覚に包まれました。実際にそうなんだと思います。
このままいくと死ぬ間際に人生を振り返った時にもなんだかぼんやりとした出来事しか思い出せないのでは。そんな恐怖の感覚にとらわれました。
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自分がこの恐怖を明確に感じたのは最近のことです。それまで会社員として疑いもせずにノルマをこなし、会社からそして上司からの評価を気にしながら仕事をしてきました。結果、それなりの成果もどうにか出してきました。それが来たるコロナに寄って、なけなしの成果は跡形も無く吹き飛んでしまいました。
ずっと前を向いて走っていた自分がコロナで急ブレーキをかけられ立ち止まってしまった。我に返ってふと過去を振り返った時に、記憶に残る思い出が何も残っていないことに気が付きました。
そんなはずはない。
焦りながらどれだけ思い出そうとしても会社のパソコンに残っている実績以上の記憶は何も浮かんできません。手帳をめくりながらどうにかその時何をしていたかを知ることが出来ても、その時の感情を伴った記憶はそこにありませんでした。
どれだけ給料が上がっても、どれだけ会社から評価されても。走り去ったすぐ後ろで泡のように消えていく記憶しか残らない人生は絶望だと感じました。でも普段はそんなこと気づきません。意識して過去なんて振り返らない。だから分からないんです。
もうすぐ五十路。気づくのが遅すぎたかもしれない。普通に考えたら完全に人生の折り返しは過ぎている。でもどうする。だから何もしないのか。
そんなのは嫌だ。少しでもいい。
人生最期の時に『こんなことやったなー』と当時の感情と共に思い出せる。笑いながらその時のことを語り合える人生でありたい。何か大きなことをするとかそんなんじゃなくていい。それよりも自分がやりたい、やってみたい。そう心から思えることを自由気ままに自分の意志でワクワクしながらやりたい。
線のように細かったとしてもそれは間違いなく自分の道になり、歩いた軌跡になり振り返ったら思い出になる。
やらなければいけないではなく。やりたいことをやる。
have toではなくwantをする。
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これからは自分がやりたい、と思うこともやっていこう。。!
そう決意するまでにはそれほど時間はかかりませんでした。でも実際の行動に移すまでにはめちゃくちゃ時間がかかってしまいました。
そもそも今まで人生は人から評価をされることしかやったことがない。そんな他人軸でしか活きてこなかった弊害でいざ自分の意志で何かを始めようと思っても自分がいったい何をしたいのか分からない。
これやってみたら面白そう、と心に小さな火がついても、今まで他人評価で生きてきた自分からすぐに横やりが入る。
そんな心の声がたえまなく聞こえてくる。そのたびに自分が恥ずかしくなってしまいやる気にすぐ蓋をして行動の火を消してしまう。
会社で仕事をしてればそれなりのポストがあります。培った経験もある。信頼できる部下もいる。そう、自分を肯定してくれる安全な場所があります。若い時に比べて恥をかくこともぐっと少なくなっています。
なのにわざわざ若い子に交じって冷や汗をかきながらする挑戦なんて意味が無い。そんな気持ちが何回も頭をよぎりました。
でもその安住に浸った自分の人生は本当に幸せになのか。その地にいれば恥をかくことは少ないかもしれない。大きく傷つくことも無いかもしれない。でもそんな安全地帯にどっぷり浸かって自分を肯定しながら、今の自分は何も成し遂げていないという焦燥感に押しつぶされそうになっている、それがずっと続く人生で本当にいいのか。一生に一回の人生がそれでいいのか。
やっぱり嫌だ。。。
だったらやるしかない!
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その後も訪れた何回もの葛藤を経た一年後、心の声をどうにか振り切り、勇気を振り絞って全く別分野のプログラミングスクールに入りました。まわりはみな若い子ばかり。自分に近い年齢の人も教養として覚えたいという人が大半でした。先生も自分の子供のような年で。
人生を変えたいという決意で、転職を視野にいれたコースを自分は選択。完全に文系の自分は当初まったく理解が出来ませんでした。何が分からないかがもう全然分からない。同じことを何回も何回もインストラクターに質問し、見当違いな言葉しか出せない自分。何回も堂々巡りのQ&A。本来質問し放題の場所なのに、
とさじを投げられてしまいました。先生が悪いというよりあまりにも素人として飛び込んだ自分自身の現実でした。
ここまで出来ないとは。。。
飛び込んだ当初はもう少し出来るだろう、と思い込んでいました。Q&A打ち切り当時はショックすぎて食欲も落ちてしまい自信喪失感がそうとう大きかった時期でした。
会社ではみながアドバイスを聞きにきてくれるのに。。。
授業の最初のところで見捨てられた自分。。。全然ダメじゃん。。。
これが現実の自分です。何にも挑戦をしてこなかった自分が生んだつけの結果でした。
最初はプライドがボロボロになった自分ですが、とにかく覚悟して入ったんだから何かものにして帰ろう!そう思ってからは開き直ることが出来ました。インタネットなどを使ってひたすら調べ自己学習も必死にやり、先生にもその後も何回もアホな質問を繰り返しながら基礎の基礎から教えてもらいました。そしたら少しずつ理解が出来てきたんです。
多分、カリキュラムとしてはまだ前半の部分だったと思います。でもまったく理解できなかった部分が初めて今少しわかった!!という瞬間に出会えたんです。その時ずっと感じていなかった底からわき上がってくる嬉しさを感じました。おおげさだけど生きてる感じがしました。
会社で自分が知ってる範囲の仕事しかしていなかったら絶対に味わえない感覚を何十年ぶりに感じることが出来たんです。この感覚を感じられただけでも一歩踏み出してよかったと思いました。
この光景はきっと後で振り返った時にも鮮明な色がついて思い出せる!そんな出来事でした。
何もしなかったらこの景色は絶対に見られなかった。挑戦したからこそ。恥をかいて苦しんだからこそ得られることがある。
スクールはその後も大変な思いをしましたが、何とか無事に卒業をすることが出来ました。卒業当初はスクールの経験も活かしつつ、プログラミングを活用したことをやりたいという気持ちも大きかったです。
でもそれからもう少し紆余曲折があった結果、自分と同じように遅すぎるかもしれないけど小さくても良いから自分の道を歩きたいと思っている人を応援したい、そんな思いで今はライフコーチをしています。
わたしは自分の人生を歩きだすまで年齢的にもめちゃくちゃ遠回りをしました。でもそんな自分だからこそ伝えられる言葉があると思います。
今、少し前の自分と同じように一歩を踏み出すことに恐怖やためらいを覚えている人。それでも一歩を踏み出したいと葛藤をしている人。お話しだけでもしましょう。そしてあわよくばわたしにあなたの人生を応援させてください。振り返った時に記憶に残るあなたのwantを一緒にみつけたいです。
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