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2020.7.10(金)〜11(土) ✕ ✕ ✕

昨日は4ヶ月ぶりに友人宅にお邪魔して日付変わるまで楽しく過ごす。何気ないこんな日常が、今は乾いた心の潤い。でも「もしかすると、2週間後にはこんなふうに気兼ねなく会話なんてできない日々がまたやってくるのかもしれないな」と心のどこかで思っている。

東京の新規感染者は9.10.11と3日連続で200人を超えた。首都圏を中心に全国的にも10日〜11日で402人増加。沖縄の米軍などでもクラスターが発生し始めた。「夜の街の若者」の行動を監視するだけでは、もう間に合わないだろう。

これが第二波なのかどうか、見解は分かれているが、「Go toキャンペーン」(英語としてありえない...)と銘打って旅行を推奨し、5000人規模までイベントを許可している現状で、このまま自然に拡大が収まることはないように思える。

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「ニュー・ノーマル」とカタカナで書けば一見先進的な価値観に思えるが、去年までなら「潔癖症」と呼ぶべき生活習慣を強いられるわけで、いまだ違和感は拭えない。ニュー・ノーマルを厳格に実践していても、運悪く感染してしまうこともある。

かつては、「ばい菌」扱いするのは仲間はずれの悪ふざけ(もしくはイジメ)だった。今や年端の行かない子どもたちが、他人からウイルスをもらわないように気をつけなさい、と教え込まれて、マスクを肌身離さず、距離を置いた机で無言で昼ごはんを食べている....

ずっと、この生活習慣を「ノーマル」として定着させるのは大きな問題だと思っていた。そんな違和感を的確な言葉で解説してくれている記事を見つけた。長い闘いにはなるが、この生活は「テンポラリー」であるべきで、「ノーマル」になってはならないと思う。

*下記リンクより:感染の恐れがない社会では、人を「不潔なもの」として避ける感覚は社会的機能を低下させる。私たちは感染を避けるため、ピューリタンのような清潔、道徳的、禁欲的な生活を強いられた。しかし本来は、これらは一過性の行動変容にすぎない。パンデミックが去ったら積極的に忘れて、3密を回復するべきだ。そして次のパンデミックが来たら、3密を回避する。そうした切り替えの柔軟性が求められている

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僕は今まで数えるほどしかインフルエンザのワクチンを打ったことがないが、この25年ほどでインフルにやられたのは2度くらいしか記憶にない。

理由はいくつか考えられる。喘息持ちで病弱だったせいで体の異変や疲れに人一倍敏感で、アレルギー体質改善のためにハリや整体に通ってメンテナンスし、冬場は必ずマスクをしていたのが功を奏したのか?(30歳以降はほとんど発作も起きなくなったし常備薬なども飲んでいない)

あと、30代後半から自分を追い込むような仕事のやりかたをやめて、なるべくストレスを溜めないようにしてきたのも良かったと思う。

40代からは「口に入れたものが体を作る」ことを意識して、食品添加物やジャンクな飲み物・食べ物をできるだけ食べないようにもしてきた。

そうやってアレルギーを軽くするためのライフスタイルを実践してきたら、自然と他の病気にかかることも少なくなった。子供時代は虚弱だったし体力も弱いが、55歳になっても健康診断で問題は見つからないし、入院したこともない。

そんな観点で、下の記事はとても頷ける内容だった。今軽く調べたらツイッターでは「トンデモ」扱いする方が過半数みたいだけど。「病気になったら薬で治す」と考えられている現代においては万人向けではない「非科学的」な見解にみえるかもしれないが、個人的にはとても腑に落ちる。


いずれにせよ「ワクチンができたらコロナはすべて解決!」とはなりえない。世界に行き渡るまでには相当な時間がかかるだろうし、その間にウイルスが変異して効かなくなる可能性もある。今でさえ、なぜアジアでは(とくに日本では)感染者が少なく済んでいるのか世界から不思議がられているわけで、つまりこの新型ウイルスの振る舞いは、まだわからないことだらけだし、各国の対応もうまく行っていないところの方が多いように見受けられる。

なんとかして、自分で自分の身を守るしかない。

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今日、ほとんど誰も気づかないくらいの小さな虹を見つけた。

この酷い梅雨が、早く去りますように。

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