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土曜ソリトンSide-B : あれから20年⑨

その9:坂本龍一ワールド・ツアー - part2

思いがけない展開から、坂本龍一ワールドツアーのギタリストに大抜擢された高野寛。しかし、その大役は決して当時の実力に見合ったものではなく、長い試練が始まる。

まず、曲の複雑さ。坂本さんの曲に使われているコードは、一般的なコードネームでは書き表せない独特な響きを持っているものが多い。元来「コードネーム」はジャズから派生した軽音楽の概念だが、クラシック・現代音楽を経て独自の世界を描く坂本さんのハーモニーのセンスはその範疇からは大きく逸脱しているのだ。原曲にはギターの入っていない曲も多く、限られた知識とテクニックしかない自分のプレイをどうやってアンサンブルとして成立させるか、その解析に相当な時間を費やした。つまり、リハーサルの前の予習が大変だった。

「Sweet Revenge」の大きな特徴は、ヒップホップの大胆な導入とブラジル音楽の要素が取り入れられている曲が多いこと。ツアーのために買ったガットギターで、慣れないボサノヴァのバチーダ(弾き方のパターン)を練習するのはまるで外国語の習得のようで、付け焼き刃のグルーヴが体に馴染んできたのはツアーも中盤に差し掛かった頃だったと思う。英語詞の曲も何曲かステージで歌った。

CDではアート・リンゼイが歌っている「Psychederic afternoon」は印象深い曲の一つ。その20年後、アート本人とギタリストとしてセッションする機会が訪れようとは、あの時は想像もしなかったけれど。

(余談だが、アート・リンゼイのバンドメンバーとして21歳のころ初来日した経験をもつモレーノ・ヴェローゾは、「自分はアートの学校の生徒みたいなものだ」と語っていた。アートと教授を基点に、日本・ニューヨーク・リオのオルタナティブなシーンが大きなサークルで繋がっているのだ)

ツアーで一番緊張を強いられたのは、「戦場のメリークリスマス」のイントロのアルペジオをギターとピアノだけで始めるシーン。もちろんコンサートの最大の見せ場の一つだが、基礎練習をちゃんとしてこなかった僕にとって、シンプルなあのフレーズを途切れないように美しくギターで弾くのにはかなり集中力が必要だった。国内ツアーの序盤、その重要なイントロを間違えてしまったことがあった。落ち込む僕に、坂本さんは何も言わなかった。「本人が一番辛いはずだから」と言っていたと後にスタッフから伝え聞いた。

国内ツアーの終盤、武道館公演。ヴィデオとライブアルバムの収録があったその日は、緊張のピークだった。あれほど緊張したライブは、デビューのきっかけになったTENTオーディションのライブ審査の他にはなかったと、今でも思えるくらいに。

ところがリハーサルが終わった時、事件が起きた。坂本さんが舞台袖から約2メートル下に落下して腕を打撲してしまったのだ。すわ、公演中止か?!と現場の空気は張り詰めたが、急遽駆けつけてくれた坂本さんかかりつけの名整体師の施術で開演寸前に奇跡的に回復、無事公演は行われることになった。ライブ盤に封入された写真には、その時の腕を吊った坂本さんの姿が映っている。

ハプニングがあった日のライブは、翻ってその後集中力が増すことがよくあるが、まさしくあの日がそうだった。旅の疲れも出始めていた頃だったが、とにかく無事やり遂げること、その一点に全員が集中した。素晴らしいライブになった。僕自身も、あの日を境にチキンハートを克服する術を身につけたように思う。思えば(ソロアルバムも含めた)僕の人生初のライブ録音盤が「sweet revenge tour 1994」だったことになる。

そして13本の国内ツアーの後、バンドはいよいよ香港・ヨーロッパの旅へと飛んだ。

(続く)

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※矢野さんと細野さんゲストの回・ダイジェスト映像



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