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傷が実在を教えてくれる。

昨日、自転車に乗っていて傷を作った。右足の親指をアスファルトでこすって、まあまあ痛い傷を作った。

その日は長野のシェアハウス生活最終日。なんだこの思い出は笑、と思っていたけど、今はその傷が、あのきらきらした日々が実在していたことを教えてくれる。

三ヶ月間の長野滞在を終えて、明日私はデンマークへ旅立つ。

長野のシェアハウスでの日々がすでに恋しい。豊かな自然を聴きながら、肌に触れる風を感じた日々。玄関から通る風が気持ちよくて、よく座って話をしていた。一緒に暮らしたシェアメイトたちも、誰かの不調にすぐ気づく優しい人ばかりだった。

寂しさが深いだろうなと思って、シェアハウスでの日々を懐古することも、「最後かもしれない」と思って暮らすことも避けていた。
けど、そこで抱く感情はもしかしたら今しか抱けない大切なものなのでは?と思って、長野から大阪へ向かうバスの中で、この三ヶ月の断片を思い返していた。

ら、号泣していた。

日々ってあんなに愛おしかったんだな…
と思ってしまった。

寂しくて苦しくて、もうみんなに会いたかった。また車窓から遠くに見える山を眺めて、今日の空の感想を言いたかった。

断片で思い出す記憶は幻のようにプカプカしてるんだけど、右足の親指の傷が、それは現実だったと教えてくれる。歩くたびに毎回少し痛むこの傷は、癒えるまで、この長野の日々の寂しさのそばにいてくれる。

最終日につくった傷は、そんな解釈を私にくれた。

寂しさのままに泣いて、自分の気持ちと一緒にいることを大切にする。泣いて泣いて、それでも前を向いて歩いていく。

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