【エッセイ】ミクシ病(2006年に書いたものを掘り起こした)〜或いは交流病
ミクシ病(ネット)
書こうと思ったんだったかな。
雑記だったんだが。書こうと思ったものは。
忘れること自体が凄いな。ほんの一瞬前に思ったことだ。
思い出した、ミクシ病だ。
ミクシ日記をつけている人間は、人によってはミクシ病になる。
足跡機能が引き起こす快感にはまるのだという。
俺は多分ミクシが嫌いだ。
ICQが流行し始めた最初、俺はそれを試した。
オンライン機能は俺には邪魔だった、足跡機能はそれ以上に邪魔だろう。
足跡をつけられるような、手形を残されるような、体温に触れられるような、そんなミクシはおそらく嫌いだろう。
俺を良く知る人も、あなたは絶対ミクシは嫌いだと思うわと言う。言い当てていると思う、実際俺も嫌いだと思う。
ネット歴が長いがゆえに、最新流行には疎いが文字だけの交流に用心をすべきだというのを知っているだけだ。
ミクシの日記を毎日更新して、毎日レスをつけている人々は認知欲求を満たされる、本当に?
認知されているわけではない、と気付いたときに、襲い来るのは絶望だ。
20060723
過去に書いたものを掘り起こした。
mixiというサービスは、2004年に始まって2021年で17周年だと聞いた。
ただ、今さらmixiを掘り起こして使っていなかったサービスの懐古を述べたいわけではない。
mixiが当時あれだけ大流行したのは、結局のところ、交流が密で承認欲求が手軽に満たされたからだ。
それと似たような気配を、よくSNSには感じることがある。
もちろん、この、noteにも。
交流と承認欲求はマイナスではない、ただ、本当に書きたいことや、逆に気軽に日記を書くだけのつもりで来たのに、交流やページビューに振り回されている人々は時々見かけるような気がする。
それもまた新しい時代の交流の形なのだろうし、とやかく言うことでもないのだが、物慣れず勢いに乗って、毎日を通い詰めて人眼に疲れ、ある日突然失墜する、そのときにはおそらくひどく心が痛いだろうと淡い心配もする。
己は己。
人の目を通してだけ執筆の意欲を沸き立たせて続けるのは、至難の業であろうよ。
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