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【15話】小春麗らか、希(ノゾミ)鬱

4-4 祭のあと



 練習の夏休みが終わり、学校が始まって、それからすぐに学祭があった。俺達はステージ演奏を行い、そこそこの盛況で終えた。その様子はこの作品のオープニングかエンディングの映像でいやというほど流れてるからそれを見ると良いよ。曲はSyrup16の「生活」だ。この作品がアニメとか実写で映像化されればの話だけど。

 学祭、なかなか盛況ではあったのだが、皆、日頃の練習の成果を存分に発揮し、最高の演奏をぶちかまし、ロックバンドのロックンロールを見せつけたのではあるが、しかし願い虚しく、祐希はまたしても軽音楽部に復帰することができなかった。やはり因縁は色濃く、人間関係としての執念深い埋まらない溝がそこにはあるのだ。根本から解決しないことには、きっと難しいだろう。

 その日も放課後は屋上であった。残暑の厳しい日であったが、しかしよく晴れた気分の良い日であった。こういう日は外に出て、屋上に出て過ごすのはとても良い。鬱屈とした気分も少しは晴れ、良くなった気がする。持病の鬱も太陽の下に晒せば、温かになって、干からびて無くなるかもしれない。

 俺は時々思うのだけれども、食が何よりの幸せで、食べることが幸せなのだという誇大広告がたまにあるが、あれは辞めてもらいたいと思う。小説でも漫画でもなんでも良いけど、グルメだ、食だ、食え、歌え、みたいなのが苦手だ。苦痛でさえある。食事は死なないために行うのであって、食べることさえ大変な、食欲がほとんど毎日ない中食べている人間にとっては、全てが苦痛なのだ。腹は空いているが、食べ物を口にすると、すぐに満腹感というか、圧迫感が襲ってきて、飲み込むのが困難になる。それが毎食、毎日続く。嫌になるが、嫌だとも言ってられない。食事だからな。生きていくしかない。死ぬわけにも行かない。好きな人もできてしまったわけだし。

 祐希は今日も歌う。暑い中、ギターを抱えて飽きることなく歌う。俺はその曲を聴いて思う。

 ミルク色の道を振り返ることなくあるけば、それで思いは、願いは叶うのだろうか。生まれてきた意味になるのだろうか。歌の歌詞に忠実になれば、それは実現することがあるのだろうか、と。おそらくそんな歌はないだろう。だから歌は幻想で、幻で、概念でしかない。どれだけ現実を歌っても、本音を叫んでも、それは理想になってしまう。空想になってしまう。共感するような歌詞でも、わかるわかると頷くような歌詞でも、情緒的なメロディでも、それは手が届くところにあったはずなのに、全て手の届かないところに行ってしまうのだ。

 
「小春は、何を考えているんだ」

「え、どうかしましたか?」

「いや、何の本を読んでいるのかと思ってな」

「英語の勉強をしているんです」

「へえ、それはなんとも。クラス委員は心がけも普段の行いも立派なんだな」

「そういうつもりでは……」

「悪かった、意地悪だった。続けてくれ」

 各々、それぞれの時間へと戻っていく。同じ場所にして何一つ同じことをしていない、この時間を。共有しているのに共通していないこの場所を。俺たちの夏は過ぎていく。今はまだここにある夏も、やがて過ぎていく。このわだかまりも、滞りも全て流すように。

 俺は隣にいるその少女に、心のなかでお願いをした。

 生きてゆく力があるうちは、笑わせて、いつも、いつでも、そばにいてくれ、と。そう願うことを、許してくれ、と。

 このかすかに残るように覚えている不安と焦燥、やるせない絶望を忘れずに。
 

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