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母から〝地獄〟がなくなった日。

今回は、ある家族から地獄がなくなった話を紹介しよう。

親の小言というものは、思春期の若者にとっては煩わしいものだろう。
社会というレールから外れた人間にはなおさらである。
例にもれず(社会からはもれているが……)、私も人の理から逸れ、自己の存在を2度3度となくし、今もまだ探している途中である。

と、まぁ、このように話の本線すらすぐに脱線する現在の私の自分語りは置いて、さっそく過去の話をしよう。


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諦められた人間は楽だ。


私は生粋のダメ人間さが祟って、両親ですら、勉強をしろ!働け!結婚をしろ!などなど一般家庭ではありがち(らしい……)な説教も15歳のころにはなくなっていた。
年に一度、決まりごとであった親戚の集まりすら私のせいでなくなる始末だ。

別の言い方をすれば、理解ある家族に見守られている幸せな親不孝もの。(実際にそれが真実である)

そんな配慮ある家族にも、たま〜にひしひしと感じる重圧がある。

母は暗い重めの不幸なドキュメンタリー番組を好んでいた。
いっしょになって悲しんでいることが、母にとって、同じ境遇の仲間がいるという救いだったのかもしれない。
少し瞳は潤み、ときおり「あー……」と声にもならない音が残るのみである。
私は居間でそれを見る母が苦手であったし、父も暗い話を見ることが好きではない。
そうなると、その後は食卓で攻防戦が始まるのであった。(不思議と家族仲はよかった笑)

「あなた死んでしまってはだめよ。良いことをした人は天国にいって、悪いことをした人は地獄に〜以下略」

要するに、自殺なんて考えるなといった主旨を遠回しに伝えられるわけだ。
私はひねくれているため、こういったオカルトめいた話も得意ではない。
苦虫を噛み潰したような顔で粛々と食事を進めると、父が軽口をたたくように笑いながら助け舟を出してくれる。

「母さん。そんなこと言っても悪いやつに限って、この世界では出世するんだよ。偉くなった政治家で悪いことしてないやついないだろう。」

私も棒読みで答える。

「いや〜悪いひとになりたかったわ〜。小心者の善人だから世に蔓延れないわ〜。」

と、いった家庭円満具合だ。

とはいえ、オカルトが苦手な私も、父も、母がする天国と地獄の話は好きなのである。
父は私が病に臥せっていたときは、忙しくても会社に行く前に毎朝神棚に両手を合わせて拝んでいたらしいし……。
なんでも、神様は信じていないがご先祖様は助けてくれる……といった論理らしい。(わかるような……わからないような……)

そんな話を聞けば、私も世の中の大半のひとが捧げる〝祈り〟という荘厳さに、虚無主義からハッと目が覚めるような素敵なものだと思ったりもするのだ。

善人が救われる。そんな柔らかな幻想に耽るのも心地がよかった。


しかし、現実は非情だ。


そんなものは一本の電話であっけなく終わる。


「◯◯◯◯が自殺を図って……今、病院に……」


◯◯◯◯は何日間か生死の境を彷徨ったあとに死んでしまう。
〝公的には〟心不全という扱いになる。


それ以降、母から優しい天国と地獄の話は一切なくなった。


当たり前だ。


認めてしまえば◯◯◯◯は地獄にいく……ということになる。


私の小学生のときの遊び相手……母ともずっと懇意にしていた、あの、なにも悪くない、周りの気持ちを汲むことに敏感で善人である◯◯◯◯が……。


ありえない。


そんなことは私たちは認められない。


天国と地獄など存在しなくていい。


それは付き合いのあるひとに自殺者のいない、幸せ者の妄言である。


会話はしなくても、俯いた窪んだ目から、それ以降に家族が誰もその〝妄言〟を口にしなくなったことから、そのようなことを私は感じとった。


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こうして、母からの小言はまたひとつなくなり、家庭円満な我が家からは地獄と、そして天国もなくなった……というわけである。


めでたし。めでたし。

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