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渋沢栄一と土方歳三の奇跡のタッグとは? 元京都見廻組隊士捕縛事件の夜


しぶさわえいいちが主人公の大河ドラマ『青天を衝け』は京都編に入り、幕末に活躍した人物も続々と登場しています。中でも堤真一さん演じるひらおかえんろうが実に魅力的なキャラクターで、私も毎回観るのを楽しみにしています。間もなくドラマを去ることになるのは、残念です。

さて、ドラマでは、文久3年(1863)11月に京都に到着したばかりの渋沢栄一と従兄いとこさくが、町田啓太さん演じる新選組のひじかたとしぞうと出くわしました。

栄一や喜作と土方は、一見、関わりがなさそうですが、二人は実際に、それぞれ意外なかたちで土方と行動をともにすることになります。今回は、栄一(とくゆう)が土方とともにのぞんだ、幕末のある事件を解説した記事を紹介します。

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一橋家での栄一の活躍

ぶんきゅう4年(1864、ほどなく元号が変わりげん元年)2月、平岡円四郎の尽力もあって、京都でひとつばし家につかえることになり、農民から武士となった栄一と喜作。

栄一は篤大夫、喜作はせいいちろうと名を改めました。栄一らはその後、人手不足の一橋家のために有能な人材をスカウトしていき、翌慶応元年(1865)には西国(びっちゅうはりせっ和泉いずみ)に点在する一橋領から、歩兵として400人余りを集めることに成功します。

また同年冬から翌けいおう2年(1866)にかけて、栄一は一橋家の財政再建のため、再び西国の一橋領に赴き、年貢米の直売やしょうせき製造所の設立、ばんしゅう綿めんの買い入れなどを行って、大きな効果をもたらしました。持ち前の商才が活かされたのでしょう。栄一はその功績が認められ、かんじょうぐみかしらに昇進します。

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京都

しかし同年、14代将軍とくがわいえもちが大坂城内できゅうせい。幕府が主導するちょうしゅうもう家)征伐の最中のことでした。この事態に、次の将軍にされたのが一橋家の当主・よしのぶです。

慶喜は将軍就任にあたり、一橋家のこれという者を幕臣へとスライドさせます。栄一もその中の一人でした。

りくぐんぎょうはい調しらべやくとなった栄一は、ほどなく謀叛むほんをたくらむすごうで元京都まわりぐみ隊士の捕縛を命じられます。栄一には似つかわしくない役目ですが、その時、栄一に協力したのが新選組の土方歳三らでした。果たして、その結果は……。

事件の顚末についてはぜひ、和樂webの記事「渋沢栄一と土方歳三がタッグを組んだ! 幕末の京で起きた元見廻組隊士捕縛事件とは?」をご一読ください。

肩をたたいて笑いあえる相手

さて、記事はいかがでしたでしょうか。

記事中でも触れましたが、栄一も土方も、ともにしゅう武蔵むさしのくに)の農民の出です。栄一がもともとそんのうじょうのためには幕府てんぷくも辞さない志士で、幕府の追及をかわすために一橋家の家臣になったのに対し、土方はあくまでも幕府のもとで尊王攘夷を実行するという、幕府支持の浪士の立場でした。

同じ武州出身でもそれだけ考え方が違うのは興味深いところですが、栄一はおか藩という小藩の農家で、藩から理不尽な命令を受けることが多かった一方、土方は天領(幕府領)の農家で幕府から優遇され、代々、徳川のために尽くすという風土の中で育ったことが大きかったのでしょう。

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栄一の生家(埼玉県深谷市)

初めて顔を合わせた二人が、お互いの素性を知っていたかどうかはわかりません。素性を話したという伝承もあるようですが、裏づけがありません。

しかし、言葉のはしばしの武州なまりや、肝のわっている点などに、互いにどこか共通するものを感じ、かれていた可能性はあるでしょう。

晩年の栄一が、たった一度会っただけの土方を友として懐かしんだエピソードがあります。それが事実ならば、後年、土方の素性を知った栄一が、「本来であれば、肩をたたいて笑いあえる相手であった」という思いを深めていたのではないか……そんな想像もしてみたくなります。


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