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「当たり前を疑う」ことの大切さにあらためて気づいた話

夜ご飯を食べていると、小1の息子が突然聞いてきた。
「今日友達と図書室に行って、お寿司の本を読んでたんだよね。それでさ、ちょっと思ったんだけど、なんでマグロって、大トロと中トロはあるのに、小トロはないの?」
聞かれた母は一瞬フリーズ。まるでNHKの番組『チコちゃんに叱られる!』で詰められる回答者のような状態に…。
「え〜!?うーん、なんでかな。本当にないのかな?もしかしたらあるんじゃない?お母さん食べたことないけど。え〜〜わかんないな〜(苦笑い)」
タジタジの母と、それを見つめる息子。流石に息子は「ぼーっと生きてるんじゃねーよ!」とは言わなかったけれど、なんとも腑におちないような表情をしていた。

(後ほど、持ち前のリサーチ欲が働いていろいろと調べてみたけれど、信頼できるサイトで説明してくれているものが見つからず、ちゃんとした答えには辿り着けていない。大トロ、中トロの「大」は「大きい」の意味ではない、「中」も「中くらい」の意味ではない、ということはなんとなく総合的にわかったのだけど、その先はいまいち。それこそ、チコちゃんに聞いてみようかな笑)

そのやりとりから、あらためて「当たり前を疑う」って大事だなあと改めてハッとした。だって、大人はもはや「なんで小トロないの?」って思わないけど、言われてみれば、確かに大・中・小が揃っていないのって不思議。そしてあらためて「当たり前を疑う」ことを、自分も大切にしてきたなぁと、気付かせてもらった。

バレンタインデーは「女性から男性にチョコを贈る日とは限らない

先月、バレンタインデーがあったが、我が家ではずっと「みんなでチョコを食べる日」にしている。

なぜこれを始めたかというと、子どもがまだ小さかった頃、周りのママ友が「うちの子に今年はバレンタインのチョコをあげる!」と言っているのを聞いて、なんだか違和感があったから。うちは息子だけしかいないから、その言葉に共感して「うちもそうしよう!」って思っても不思議ではないのだけど。そもそも「なんでバレンタインに女子からあげて⇨ホワイトデーにお返しするの?」という疑問を抱いていたので、
「この多様性の時代に、女子⇨男子にあげるものっていう固定観念を押し付けるのもなぁ…」
と思って、みんなでチョコを食べる日にした。もちろんですが、ホワイトデーも「みんなでおいしい甘いものを食べる日」になっている。

「専業主婦=キャリア断絶」ではなかった

私は就職後結構早い段階で退職して、専業主婦になった。その時に明確に感じたのは、「あぁ。もう私のキャリアはこれで終わった。断絶だ」ってこと。確かに、それからの私のキャリアは全然まっすぐ太いものではなくて、細くてジグザグで、たまに途切れかけてもいるけれど、35歳になった今、「私らしいキャリアだなぁ」って、結構愛おしく感じられている。10数年前、社会では一度正社員を辞めるとキャリアは途切れるという考えがまだまだ強かったので、
「本当にやめるの?もったいない。後悔するかもよ?」
「キャリアはどうするの?」
と結構たくさんの人に言われた。

割とその言葉は呪いのようになって、「後悔する日が来るかも」「辞めたら不幸になっちゃうかも」と思った時もある。でも、今本当に後悔はしていない。多分続けていたら、今と全然違う人生になったと思うし、キャリアはバリバリ築いていたと思うけど、その自分には会いたいと思わないし、その自分になっていたかったとも思わない。キャリアも断絶するかと思ったけど、最近「元記者」は私の要素の本の小さな一部だと思うようになった。大事なのは「今の自分」が何をしているかだと思ってからは、今のキャリアを誇りに思っている。


こう振り返ってみると、ほんと自分は天邪鬼だと思う。ただ、「当たり前を疑う」ことって年齢とともにどんどん難しくなると感じていて、経験値が増えることで、自分の価値観も狭く深くなっていく傾向にある。将来は穏やかなおばあちゃんになりたいけど、それって案外とっても難しいんだろうなと思う。でも、だからこそ、いろいろな考え方や価値観と出会って、自分の当たり前を覆していきたいなぁ。息子、ありがとう。母は答えられなかったけど、君の疑問から大切なことを思い出せたよ。

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