教育を考える
先日、大学院がらみで教育関係のセミナーに参加してきました。
産業界から半分と、教育界から半分で、「これから求められる人材」というテーマで教育のあり方を考えました。
とても良い会で個人的にはぜひまた参加したいのですが、せっかくなのでモヤったことを書いてみます(笑)
思ったこと①:エッセンシャルワーカー
コロナ禍で、暮らしや仕事のあり方はけっこう変わりました(業界によるけど)。
コロナ中に新しく出てきた単語に「エッセンシャルワーカー」があり、どんな状況でもエッセンシャルワーカーは必要だと言われています。
先日のセミナーでは「明日いなくなると困る仕事」という定義をされていましたが、それはあくまでも「短期的には困る」ということです。
では、長期的にはどうなんでしょうか?
これは何とも言えません。
短期的に必要なものは、待ってくれません。
小売業の店員さんが「今日と明日は出勤しないから、明後日来てください」と言ったら、おそらく代わりの人や方法を用意されてしまうのではないでしょうか。
つまり「エッセンシャル」ということは、裏を返すと「ニーズに即対応できないと困るよ」ということです。
もっと言うと「即対応できないんだったら意味ないよ」ということかもしれません。
これってけっこう恐ろしいことで、育つのを待つとか、今日はまあええやんとか、そういうのはない、ってことです。
ちょっと言語化が上手くできないのですが、あまり良い構造ではないような気がします。
「やりがい搾取」的というか、ある意味現代の被差別職業的な感じというか。
(まあ実際にはそこまでのキツいニュアンスではないと思いますけど)
思ったこと②:オーナーシップ、デジタルトランスフォーメーション、LIFE SHIFTって大変
キャリアプランや、社会のデジタル化への適応、人生100年時代をどう考えるか、みたいなことをしっかり意識して考えることが、これからの時代には求められている、と。
まさにそのとおり!そうなんです!
そうなんですが・・・
これ、できない/やりたくない人はどうしたらいいんでしょう。
大人の世界の一部では「これができないとやばいよ!」という空気になっていて、僕も例に漏れずその価値観の真ん中で踊っているのですが、果たして社会のどれくらいの人がその価値観/危機感を持っているのか。
そしてそれは本当に必要なのか。
そういう考え方を子どもに教えて(煽って)いくのは、本当に良いことなのか。
社会のうねりに合わせて「こういう考え方もあるから、しっかり考えて準備しておいた方がいいって意見もあるよ!」ということは、なんとなく教えておきたい気もする。
でもこれ、「絶対やるべきこと」として設定してしまうと、ちょっとしんどい人もいるかな・・・?
うーん、どうだろう。
思ったこと③:結局意識高い人しかいない
これは産業界側も教員側もそうなのですが、休みの日に時間を割いて参加する人ばかりですので、いい意味で意識の高い人しかいませんでした。
最初はもちろんこういう集まりから話を始めていくといいのですが、最終的にはやっぱり意識の高くない方たちにも届くようになればいいなと思っています。
特に学校教育は公立学校がキモだと個人的には思っていますので(能力があってお金があって意欲と機会がある人は勝手にやってくれと)、この意識が高いところとそうでないところをどうやって相互理解、あるいは混ぜ合わせていくかは引き続き考えていかねばなと思っています。
まとめ
個人の充実、社会の安定、国家の繁栄のどれにとっても、やはり教育は大事です。
でもその教育を良きものとして広く提供するために、社会のありさまが目まぐるしく変化していく中で結局こうやってずっと「考え続ける」ことが大事なのだろうなと感じました。
ずっと考え続けるのって、ちょっとしんどいけどね・・・
しんどいなーって思う人はどうすればいいんでしょうね(悶々)。
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