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紙の本は、自分の過去の記憶箱

電子書籍と紙の本。私は両方楽しんでいます。

電子書籍だけにして、紙の本を処分しようとは思いません

本を読むことと同じくらい、装丁デザインや紙の質感、大きさや重量感あるカタチある紙の本が好きだから。

捨てない理由は「好き」だけではありません。
もっと大事な理由がちゃんとある。

それは─「記憶」。

紙の本には読んだ場所や一緒に過ごした人のことなんかの、過去の記憶が貼り付いているのです。
1冊の本がまるで写真や日記のように、自分の大事な記憶箱になっている。

今日はそんな話をしようと思います。


♠︎過去の記憶とセットになった紙の本


ここにピーター・スワンソンの『そしてミランダを殺す』という本があります。「最低でも3回の驚愕を保証!」と書かれた帯ははずしていません。邪魔にはなるけど。

▲創元推理文庫『そしてミランダを殺す』


この小説はあるnoterさんの記事に触発されて読んだものです。

今一度、この本のページを繰ってみました。

帯や表紙カバーの写真、折り目をつけたページを見ると、小説の内容と共にいろんな出来事が頭に浮かんできます。

noterさんと交わしたやりとり。
大好きなシーンに感銘して抱きしめた感触。
そのシーンを読んだ日の夕方の景色。
読書を遮断されたLINEのメッセージ。


▲裏表紙に読み始めと読了の日付を明記。
再読ごとに日付を追加している


この本は、まぎれもなく私の2022年6月9日と10日、2日間の記憶を内包しています。
それらは小説の内容と、その時間を過ごした断片的な思い出のセット記憶です。

まさに思い出を集めた記憶箱

カバー写真や本の帯、折り目などのひとつひとつが、さまざまな記憶を呼び起こす手掛かりとなりました。


♠︎過去時間を閉じ込めた記憶箱と、郷愁


本棚にある多くの本がひとつひとつの記憶箱。中でもたくさんの時間を一緒に過ごした本は、特別な重みを感じます。

そのひとつが、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』
高校時代に繰り返し読みました。私と同じように青春時代の1冊として、大事にされている方も多いでしょう。

ヘンテコなピカソの絵のある青と白の表紙を見ると、小説の内容、「インチキ」というキーワード、厳しかった担任英語教師の顔、本を忍ばせていた通学用の赤いデイパックが浮かんできます。
この本は、私のちょっと反抗的な心を満たすお守りでした。


▲白水Uブックス
『ライ麦畑でつかまえて』
▲白水Uブックス
『ライ麦畑でつかまえて』
落書きと折り目のページ
(本文はボカシ加工済)


そしてページをパラパラめくると、色鉛筆で記しをつけた折り目のある箇所に差し掛かります。何度も開いて読んだであろう、ページのヨレと汚れの痕。

ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ

そう書かれた行に、うっすら線が引いてあります。
主人公のホールデンが妹のフィービーに話す有名なくだり。

このページを見た瞬間、頭の中にとりとめのない映像が浮かびました。

文芸サークルのコーチから、“ライ麦畑”は大人社会の暗喩だと聞いた部室の廊下。あの暑かった夏休み。帰りに寄ったかき氷屋で、本にシロップの染みをつけて大騒ぎした私の声、アスファルトの熱気、先輩の声。

1冊のカタチある本が、過去の時間をモザイクのように引き出しました。
この記憶は、あの夏の日に、私が確かにそこにいたという証しなのです。



ふいに過去の記憶が呼び起こされる─。
そんな記憶箱を、誰もが大切に持っていると思います。

記憶箱は紙の本だけではありません。
映画のパンフレットだったり、人によっては野球のグローブかも。

noteでは、80年代、90年代くらいのポップスや漫画、雑誌を特集した記事のコメント欄が賑やかです。
これもひとつの記憶を蘇らせる装置です。

CDアルバムなどの写真や記事から、多くの人たちがそれぞれの思い出をたぐり寄せ、溢れん想いをしたためている。

これこそ、胸が熱くなるような記憶の残像、郷愁ではないでしょうか。
ならば郷愁とは、自分の記憶の一端がよみがえる現象ではないでしょうか。

♠︎電子書籍はちょっと違う


私は電子書籍も愛読していますが、再読しても紙の本ほど日常の周辺記憶は呼び出されません。

電子書籍には本の内容以外、記憶を呼び起こすフックがほぼないからです。

フックとは、本個別のデザインや折り目や汚れ、手に持った重量感や紙の質感などのこと。

またデジタルデータですから、1冊ごと個別の存在感は薄くなります。

今、Kindle『知能犯の時空トリック』(紫金陳/行舟文化)という倒叙ものの枠を超えた傑作ミステリーを読んでいますが、デバイスを閉じると本は途端に存在感を無くします。目で見えるのはKindleデバイスだけ。


▲読んでいた本が生活空間に
溶け込まない風景。
目で見えるのは本ではなく、
赤いカバーのKindleデバイス
▲紙の本なら、ページを閉じても
本の存在は消えない。
本と日常の出来事が
連鎖しやすい。
(『双生児』折原一著/早川書房)


これは電子書籍が劣っているという話ではありません。

電子書籍は「本文内容を便利に快適に読む」ことに特化したデジタルメディア
文字の大きさや背景色を変え、読書環境が調整できるスグレものです。大量の本(=本文のデータ)をひとつのデバイスに格納できるのも大きな特徴。

電子書籍と紙の本では、同じ本文内容でも読書体験が違うのです。



便利な機能をめざした電子書籍。
人間の生理にフィットした紙の本。

どちらが好みの読書体験をもたらすかは、人それぞれ。
読む本のジャンルや目的用途でも違ってくるでしょう。


♠︎記憶とは、生きる上での拠りどころ


「記憶」の話に戻って、そろそろまとめに入りましょう。

認知症を患っている私の母は、穴の空いたコップから水が漏れるように、自らの思い出をひとつずつ無くしています。
それが人間にとってどういうことか、私は間近で見てきました。

人は記憶の積み重ねで生きています。
その記憶が曖昧になると、人は途端に不安になる
自分の存在意義が、いや存在すら不確かになるからです。

記憶とは、自分の物語であり、自分の存在証明でもあります。


記憶は常に曖昧です。
だからこそ、人は何かに思い出や記憶を託そうとする。
自分だけの記憶箱を、大切にしたいと思うのです。

それは1本のギターだったり、昔の手紙、食器やアルバムだったり。あるいは心に焼き付けた懐かしい風景かもしれません。


だからそれらが喪失することに途方もない哀しみを覚えるのです。
その残像、その思い出に戻りたいと胸轟くように願うのです。

記憶箱はかけがえのない宝もの。

私にとっての記憶箱は紙の本です。
物語の内容と共に過去の記憶を辿る時間、残像に耽る時間が愛おしい。

それがおそらく、私が本を捨てない理由なのです。




▼『そしてミランダを殺す』について書いた過去記事です。

▼傑作ミステリー3選