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【読書感想】 「自己信頼」 ラルフ・ウォルドー・エマソン著 伊東奈美子訳

 伊東奈美子さんの翻訳された、エマソン氏の「自己信頼」を読みました。タイトルにある「自己」とは何なのか考えながら読むのがおすすめです。読んだ本の記憶が薄れないうちに、心に残った部分を書き留めておきます。

言葉が力強くわかりやすい、比喩が美しい

 この本を読んでいて、とても力強い言葉が印象的でした。まるで目の前でエマソンが演説しているような、彼は牧師だったのでもしかすると説教しているような、感覚になりながらこの本をめくっていました。分量は全体で100ページほどであり、口語的な表現が多いので、さらっと読むのであれば2時間ほどで読めてしまいます。その点でも、彼の話を聞いているような印象を受ける本でした。翻訳された伊東さんもその点に留意したと言うような趣旨のことを巻末に書かれていました。
 また、この本は考え方や心など抽象的なものを語っているので、数値などは一切登場しません。その代わり、比喩が多く使われており、その例えが美しいなと思いながら読んでおりました。

印象に残った箇所

引用をして印象に残った箇所を記していきます。

私には自分の本質に背くことのできる人は一人もいないように思われる。アンデスやヒマラヤの起伏も、地球全体の曲線から見ればとるに足らないように、ころころと態度が変わっているように見えても、その人自身の法則に照らせば、ある範囲に収まっているものだ。
(中略)
どんなに立派な船も無数の方向転換を繰り返しながら進んでいく。蛇行しているように見えても。ある程度の距離から眺めれば、実は一つの方向に向かって、まっすぐに進んでいることがわかる。それと同じようにもし誠実に行動するなら、それがその行為はもちろん、あなたが行うすべての誠実な行為を説明してくれるだろう。世間に迎合していてはどんな行動も説明できない。自分の道を行くのだ。そうすれば過去の行為が、いまの自分を正当化してくれる。

P33−36

 自分というものを信じて適宜判断することは結果として何か遠くに定めた目標に対して蛇行しているように見えるかもしれないが、自己を本当に信じて決めたことであれば自然と遠くの目標に向かって後悔は進んでいくものだという励ましと捉えました。

人間は臆病で弁解ばかりしている。すっかり自信を失い、「私はこう思う」とか「私はこうだ」と言い切る勇気もなく、どこかの聖人や賢人の言葉を引用している。草の葉や咲きこぼれるバラを見ると、自分が恥ずかしくなる。我が家の窓の下で咲いているバラは、過去のバラやもっと美しいバラを気にかけたりしない。これらのバラはあるがままに咲いている。神と共に今日という日を生きている。これらのバラに時間はない。ただバラというものがあるだけだ。

P52

 花のようにただそこに咲くだけで美しくあれ、という歌詞が聞こえてきそうな言葉です。だから人は咲いている花や、新芽に心惹かれるのかもしれませんね。

実際、神のような性質を備えている人でもなければ、俗人的な動機を捨て、自分自身を信頼し、自らの監督者となることはできない。

P70

ただ、自分を信じ切ることは難しい。本当に自分を信じ切った結果、人に迷惑をかけてしまったとしたらそれは自己の望む結末ではない。未来は想像できないのだから、自己の信じたことを決めてその判断に対する結果も受け止めて、というのは実際に非常に難しいことです。私は、皆がやっていることや他者に指示してもらった事をすることで、結果の責任を人にあずけてしまいたい。そんな本心に寄り添ってくれる部分かなと思います。

人々は異国風の家を建て、外国趣味の装飾品で棚を飾り、自分の意見や趣味や能力よりも「過去のもの」や「遠くにあるもの」を好み、それをまねる。しかし優れた芸術はどれも、人間の魂が作り出したものだ。 芸術家はモデルを自分の精神の中に求めた。自分の感覚をもとに、何をすべきか、どうあるべきかを考えた。 ならば現代に生きる私たちがどうしてドリス様式やゴシック様式をまねる必要があるのだろう。美しいものや便利なもの、壮大な思想や趣のある表現は彼らだけのものではなく、私たちのそばにあるものだ。

P86

「パパラギ」という本を思い出しました。記憶が定かではないですが太平洋のどこかの島の村町が島に入ってくる西洋文明に対して思うことを講演されていた内容が、まさに上に引用したようなものだったと思います。つまり自分で選び取ってきた生活、まさに「自己」を信じよ。といったことをあの村町がおっしゃっていたのだなということを、この文を見て改めて思いました。時系列的には「パパラギ」の方がエマソンよりも後なので、「パパラギ」を語った村町もエマソンに影響を受けたのかもしれません。

訳者あとがき アメリカ個人主義の形成に多大な影響を与えたエマソンですが、彼のいう自己信頼は利己心に根差したものではありませんでした。彼のいう自己は狭い意味での自己(エゴ)ではなく、真の自己、すなわち自分の中に住む普遍的な存在を指しています。自分に正直に生きることは、奔放な生活を送ることでも、我欲を押し通すことでもなく、むしろ調和をもたらすものであり、謙虚な心で自分が本当に望んでいることをするなら、人間はもっと自由に幸福になれるーエマソンのこうした考えは、後の多くの自己啓発書や成功哲学書の書き手たちに受け継がれていきました。

P103

これはエマソンではなく、翻訳を行なった伊東さんの文なのですが、エマソンの言葉は解釈のしようによっては自分のエゴを振り翳しても良いといっているように聞こえてしまう場合があるかもしれないと私も思いました。最近の自己啓発風潮でも良く聞く「自分に正直に」という言葉は、心が疲れている時に聞くととても魅力的な甘言に聞こえます。ただ、ここでの「自己信頼」が意味する「自分で選択をし、それを信じ切って生きる。」ということは「人に判断してもらったレールの上をいく人生」よりよっぽど大変だろうなとも思います。

なんだか日常に飲まれていると、「自己信頼」の本懐をすぐに忘れていきそうなのでメモに残しました。それほど長くもないので、自分に喝を入れたい時にはまた読んでもいいのかもしれません。

ここに記しているのはあくまで個人の感想です。本の内容についての誤解等にはご容赦ください。

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