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大人になってみて、ひとつだけ分かったことがある。

重松清の「ゼツメツ少年」を読んだ。
そして今、大学を卒業するまで22年間を過ごした生まれ故郷へ帰る途中の新幹線で、そっとこの文章を書いている。

学校にも家に居場所がなくて、大切なものを踏みにじられて、このままでは自分が「ゼツメツ」してしまう、と声にならない悲鳴をあげた少年少女は、テーチス海を探して小さな冒険の旅に出る・・・

読み終えて、ふと思った。
ああ、小学生の時も中学生の時も、こんなふうに必死だったな。
今の自分の居場所を失わないように、自分の居場所で人並みに安全に生きていけるように。

大人になってみて、最近分かったことがある。
というか、大人に近付くにつれて少しずつ気付きはじめたこと。

子どもの世界は、子どもの社会は、あまりに狭い。
生活圏が学校と家くらいしかなくて、関わる人も学校の友達と先生と親と兄弟と・・・
その限られた小さな世界で居場所を失うことは、子どもにとっては自分の全てを失うこととほぼイコールだろう。
部活が辛くて辛くて本当に消えてしまいたかった中学時代、それでも私が部活を辞めることはなかった。
部活を辞めても、部活の友達はクラスの友達で、顧問の先生は音楽の授業の担任で、そして私は周りから「部活を辞めたあいつ。」のレッテルを貼られてしまう。
そのことが、ただただ怖かった。自分にとっての居場所が無くなってしまうこと。"普通"ではいられなくなってしまうこと。

大人になった今なら思う。
生きづらいと思うなら、逃げ出してしまえばいい。学校を辞めても、住んでいる土地から逃げ出しても、別に人生終わるわけじゃないし。
なんなら、他の場所で、新しい世界で、もっと楽しいことが待っているかもしれない。

でもそれは、あの頃の私には今更言ってやることができない。
会社なんて、辞めたかったらいつでも辞めればいい。バイトで食いつないで、世界一周の旅に出るのもいいな。なんて考えている能天気な今の私には、言うことはできない。

子どもにしかわからない、子どもの世界で生きていくということは、大人が思うよりきっと恐ろしくシビアな戦いで。
私たちはみな、あの小さな教室という世界で、「ゼツメツ」してしまわぬよう、毎日を必死で生きていた。

でも、
いつか、
もしも。
私が親になる日がきたなら。

子どもにそっと寄り添って、耳打ちできる人間でありたい。
「あなたが見ている世界は、この世界のすべてではない。」
どこだっていいんだよ、生きてさえいれば。
好きな人と、好きな場所で、好きなように生きていけばいいんだ。
「ゼツメツ」してしまう前に、そっとこの場所を抜け出そう。

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