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はじめまして、小田原城。

五月の終わりの土曜日。
ふと思い立って、日帰りで小田原に行くことにした。

新宿から小田急小田原線急行に揺られ、一時間半と少し。

東京に暮らして七年。
行こうと思えばいつでも行ける距離なのだけれど、案外一度も訪れたことはなくて、
"はじめての場所へ"という久しぶりの感覚になんだか浮き足立ってしまう。

小田原の駅で降りて、街をぶらり歩いてみる。
路地には昔ながらの雰囲気を残す飲食店が立ち並んでいて、民家や病院も多い。
知らない街、のはずなのに。どこか懐かしくて、遥か昔に訪れた場所を再訪しているような、不思議な気持ちがした。

入り口の暖簾を海からの風が優しく揺らす、古民家風の食堂で昼ごはんを食べる。

昼食の後は、よく冷えたブラックコーヒーで喉を潤して。

時折額に滲む汗を拭きながら、小田原城へと向かう。

初夏の太陽と、光をたっぷりと浴びた新緑が眩しい。
足元には木漏れ日がキラキラと落ちる。

小田原城という言葉を聞くと、いつも、中学生の頃に読んだある小説を思い出す。
中村航さんの「あなたがここにいて欲しい」。

東京の大学に通う主人公の吉田くんが、故郷の小田原を訪れて旧友に会うため蒲鉾を買う。あんぱんを買って小田原城址公園で食べる。
公園にはもうゾウのウメ子はいなくなっていて、お猿の檻だけが残っている。

印象深い小田原のシーン。

中学生の私にとって、小田原は想像もつかないほど遠い街で。在来線と新幹線を何度も乗り継がなければ辿り着けない場所で。
同じ日本に、本当に"小田原"なんて場所があるのか。
それさえも不確かだった。

遥か昔に小説で読んだあの場所に、小田原城にいま、立っているんだなあ。
電車に乗って、自分の足で歩いてたどり着いたんだなあ。
なんだかわけもなく感動して、静かに胸が熱くなるのを感じた。

あの頃の私の耳元で、そっと囁いてみたい。
わたしたちきっと、どこにだって行けるんだよ。

小田原城を後にして、潮風に誘われ浜辺へと向かう。
トンネルを抜けると、つんと磯の匂いが鼻をついた。

浜辺に腰を下ろしてサイダーを飲み干した。
寄せては返す波をただぼうっと見ながら、道中買った練り物をつまむ。

小田原には、蒲鉾があった。小田原城には本当に猿がいた。そして、青い海があった。

帰りは、新宿まで特急はこねに乗った。
窓の外にはひさしぶりに見る綺麗な夕焼けが広がっていて、なんだかいい一日だったなあとしんみりしてしまう。

一日だけの、週末小旅行。
繰り返す日常に、終わりなくやってくる仕事に忙殺されそうになった時は。
またこうして特急に乗って、どこかはじめましての街へ出かけようと思う。

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