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こんにちは、高松奈央です。
今回はつぶやきのようなnoteです。

最近海、見てないなぁ。

私は海のないところで育ったので、
海をみると特別な気持ちになる。
海からの風、海から丘に続く街並み。
海のない街とは大きく違う。
その違いが私にとっては新鮮。

学生時代の4年間は港町に暮らしていた。
学校からの帰り道、丘の上から毎日海を見ていたんだった。
青く穏やかな日もあれば、波が大きく立つ日も。
なんだかんだ毎日海の様子が気になっていたな。

わたしは産後にまつわる仕事をしたくて
毎日産後のことを考えてしまう。
何かをしている時も、そのことと産後のことを結びつけて考えてしまう。
一見全然関係なさそうなことも。
産後のことに役立てられることはないかと
無意識に探してしまうのが習慣になっている。

今回はふと頭に浮かんできた海と
産後を結びつけて考えてみたことを
言葉で切り取ってここに置いてみよう

今回は
いつもとは雰囲気を変えて
創作のエッセイ風に書きます


短編①〜産後という海

出産後お医者さんからの退院許可がでれば
約1週間でお母さんと赤ちゃんは退院する。
自宅に帰る準備をしながら入院生活に別れを告げる。
自由とは言えなかった入院中の生活から解放されるという気持ちと
優しい手を差し伸べてくれていた助産師さんから卒業する寂しさが入り混じる。

家に帰ると手伝ってくれる家族もいるのに
独り立ちしたての母はいろいろなことに戸惑う

病院からは
何か困ったことがあったら
電話するようにと言ってもらえたけれど

戸惑っていることは確かなのに
何にどれだけ戸惑っているのかわからない
困ったことばかりなのに
こんなことで電話をしてはいけないと思ってしまう

親になったのだからというプライドからだろうか

何かあったら連絡してねという
助産師さんからの言葉は
優しい気遣いからのはずなのに
今の自分には無責任な言葉のように感じる

そういえば
街の保健師さんも
産後の保健指導で来てくれたけど
同じことを言って帰っていった

わたしはいままで
初めてのことに対して
飛び込んでいける性格だと思ってた

でも今回は違う
子供の命を預かっている感覚からか
今までのように飛び込めない

飛び込んだ先に誰もみつからない


まるで
産後という海に放り込まれた気分

泳ぎ方を知らない私は
ただ海の上にひとり


ただ流れに任せるしかなく

ただただ産後という名の海に
ひとりで置かれている


短編②〜自分という海

産後の気持ちの浮き沈みが
今までとは比べものにならない

産後はホルモンバランスの関係で
気持ちの浮き沈みが激しくなるという

夫が先輩パパである上司からいただいてきた
産後ママの取説みたいな本に書いてあった

わかってるんだけど
自分でコントロールできない

腫れ物みたいに
扱わないでほしい

気持ちの浮き沈みが激しくなるという言葉だけで
片付けないでほしい

でも自分ではどうにもできない

まるで
自分という海に飲み込まれた気分


今まで自分の中にあった
おちついていた海も
輝いていた海も
落ち着きを無くした海も
知っていたつもりだった

ある程度波の乗り方も知っていると思っていた

こんな大きな波を知らなかった私は
ただ波に翻弄される

その波だって自分自身なのに


短編を書き終えて

短編①の海は
産後のお母さんの状況を
お母さん自身がみる状況を海として表現しました。

対して短編②の海は
産後のお母さん自身の心境を
お母さんの中から湧き出る感情を海としてを表現しています。


どちらにしても、産後のお母さんは状況も心境も大きく変化することをお伝えしたくて書きました。
大きく変化するということは、その時その瞬間では大変なことですが、
後になって振り返ればその大きな変化はその後に活きてくるものです。

その時は大変なことも
人生という長い幅で眺めれば
その大変さ、大きな変化を味わうことも必要なことのはず。

大変という言葉も
ツラい、しんどいという意味で片付けてはもったいない。
大きな変化という意味での大変も忘れないでいたい。

産後の大変さも
大きな変化として
お母さんを大きく育てる種としたい

だから私はいままでの産後ケアでは満足しなかったんだ


産後の大変さの中にある
お母さんの中にある
大きな変化を

お母さん自身の未来をつくる
材料としたい

だから
私は人生全体という視点で
新しい産後ケアをつくる
んだよね

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