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【書評】江戸

徳川家康が江戸に入府したのは1590年(天正18年)だが、古くは平安時代末期の秩父平氏の一族である江戸氏が拠点とした地であり、中世は太田道灌が江戸城を築き、小田原北条氏が家臣の遠山氏を城代に置く要衝だった。
本書は、中世から近世へと連なる時間のなかで、江戸がどのように発展し、その範囲を拡大してきたかを語ることを目的とし、「大江戸八百八町」が誕生する以前の江戸の姿を描くことを意図して執筆された著作だ。

本書の著者

齋藤慎一著「江戸」中公新書刊、2021年12月25日刊行

著者の齋藤慎一氏は、1961年東京生まれ、明治大学文学部史学地理学科卒業、明治大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程退学を経て、都立江戸東京博物館(組織改編により2010年から公益財団法人東京都歴史文化財団江戸東京博物館)学芸員を務められている(本書刊行時点)。

本書の構成 

本書は以下の9章で構成されている。
 
第一章   秩父平氏と江戸の故地
第二章   太田道灌の江戸築城
第三章   小田原北条の領国へ
第四章   中世江戸の交通
第五章   家康の江戸入府
第六章   豊臣期の城づくり
第七章   徳川家の城下町へ
第八章   天下人の江戸拡張
第九章   将軍家の城、都市へ

本書の概要は以下のとおり。

江戸の起源

秩父平氏一族の江戸氏。江戸氏の根拠地は武蔵国豊島郡江戸郷とされている。しかし、中世の時点で具体的な江戸の地点を示す地名は見られなくなっているという。江戸惣領家は具体的にどこに拠点を構えたのか?
この問いかけに対して著者は、平氏政権が把握しようとした渡河点に注目し、推論を進めている。

中世の江戸

戦国時代の始まりと位置づけられる享徳の乱(1454~1482年)で活躍した太田道灌は、関東管領を務めた上杉家のうちの扇谷上杉家の家務職(家老にあたる立場)にあり、1457年(長禄元年)に江戸城を築いたとされている。
本書では江戸の町について、太田道灌が築いた江戸城と城下平河に関する論叢から始まる。
文献や考古学調査を基に、江戸城下のランドマークとして記述されている平川に掛かる「高橋」の位置や町と街道の構成など15世紀の江戸の町の推論が展開される。 

戦国期になると、1524年(大永4年)、江戸城は小田原北条氏に攻略され北条氏の領国となるが、一方で古河公方家の御座所として計画されるなど北条・上杉・武田のせめぎ合いの中で翻弄される動きをみせる。
この中で、文献上登場する「江城大橋宿」と陸上交通、海上交通の結節点としての江戸について言及が続き、16世紀の家康入府前の中世江戸の姿の可視化が試みられる。

家康入府の頃の江戸

第五章から第七章では、家康入府以降の江戸城と江戸の町づくりが語られている。
著者は1590年(天正18年)から1603年(慶長8年)の13年間で、日本橋架橋、「大橋宿」停廃や本町通り沿いの初期城下の設定という町場の変更が行われており、ここまでは、鈴木理生氏の段階論を踏まえ「徳川家の自営工事」によって進められたとしている。

この時期の江戸城築城では、西の丸の地に家康の隠居城としての新城の構築が進められたことが記述され、「本丸を中心とする江戸城と西の丸を中心とする新城という二城が並立する段階」の城の構造の深掘りが展開されるとともに、同時期の城下平河の移転や掘削などの町場の普請について言及が続く。 

天下人の江戸拡張

第八章の天下人の江戸拡張からは、関ヶ原合戦後の天下人としての江戸城の普請が語られている。
この時代の大きな変更点は、徳川家康が隠居地を駿府城としたことから、江戸城を二城が並べ立つ形式から本丸を中心とする江戸城の一部に新城(二の丸)を加え、江戸城を拡大することにあった。
これにより完成した江戸城中心部の構造は「慶長江戸図」に示された構造におおよそ近づいた。

江戸城が徳川の城として生まれ変わる本格的な普請は1606年(慶長11年)からであり、日比谷入江の埋め立てによる屋敷地造成、石垣普請、江戸城正面の変更などが進められ、1636年(寛永13年)の江戸城外堀普請により外郭が整い、江戸城は惣構えを持った城として完成した。
この間、江戸に腰を据え諸事にあたったのは秀忠であり、惣構えは家光の手によるものだった。

おわりに

最後に著者は、「「大江戸八百八町」として知られる江戸城と城下町は秀忠と家光の時代以後に形成されたことは確かだろう」と述べ、家康と秀忠が本格的な江戸幕府の体制を準備した「江戸幕府の始まりを考えてみる必要があるのではないだとうか」と問いかけている。

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