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【街と街道を歩く】長崎を歩く

2018年2月23日(金)、初めて長崎に出張した。
仕事は夜まで掛かり一泊。
せっかくなので、翌日は昼過ぎぐらいまでの時間を費やして長崎を観光した。
長崎ランタンフェスティバルの開催期間中で、同日午後は皇帝パレードが繰り広げられていた日だった。
ただし、パレードが始まる時刻の頃は空港に向かっていたので、パレードを見ることは無かったが…。

通りを歩く

朝8時過ぎ、ホテルをチェックアウトして通りを歩き始める。
天気は晴れており、散策にはもってこいのひよりだった。
通りには市電が行き交っている。
私の郷里の街も市電が走っており、市電を見るとほっこりする。

市電が走る通り

眼鏡橋

先ずは中島川に掛かる眼鏡橋周辺を散策。
眼鏡橋は、1634年(寛永11年)に架橋された日本初の石造りアーチ橋
綺麗な二連アーチで技術力のが高さが窺える。
中国から来日して興福寺の2代目住職となった黙子如定によって架けられたという。
ランタンフェスティバルの提灯に彩られ、素敵な雰囲気だった。

朝8時台だったので人影は少なかったが、橋の上では、テレビ局の中継らしき集団がいたので、遠巻きに様子を観ながら橋の上が空くのを待って散策した。

石造り二連アーチの眼鏡橋

唐人屋敷跡

長崎新地中華街を抜け、唐人屋敷跡象徴門天后堂などを見学。
唐人屋敷は密貿易とキリスト教浸透を防止するため、1689年(元禄2年)、江戸幕府が現在の館内町に設置した中国人住居地区。
周囲を練塀、堀で囲った屋敷は、約9,400坪の広さと約2,000人の収容能力があったという。
唐人屋敷は、出島と共に海外交流の窓口として大きな役割を果たした。

現在は、天后堂、土神堂、観音堂と福建会館の4堂のみが残されており、順に回ってみた。日本とは違う異文化が漂う街という印象を受けた。
こうした異文化を取り込んだ街は、独自の文化を生み出すのだろうなと感じた。

唐人屋敷跡象徴門

出島

出島まで足を伸ばしてみた。
出島は、1636年(寛永13年)に築造された人工島で、ポルトガル人を管理する目的で建設された。
1859年(安政6年)にオランダ商館が閉鎖されるまでの218年間に渡り唯一の西欧に開かれた街だった。
出島は長崎奉行の管理下にあり、その下にさまざまな人が出島で働いていたという。

現在の出島は、1591年(昭和26年)頃より出島の整備計画が着手され、翌1952年(昭和27年)からは出島史跡内の民有地を用地買収する公有化事業に着手し、事業開始から半世紀が経過した2001年(平成13年)に完了したとのこと。

出島内には商館が再現され、ありし日の出島の様子を想像しながら歩いた。
せっかく異国の地に来て、こんな狭いエリアに居たのかと思うと少し気の毒にも感じた。

外から眺めた長崎出島

平和公園

市電にのり、平和公園まで行ってみた。
市電に乗ると、子供の頃に郷里の市電に乗っていたことを思い出す。
私が住んでいた地域は周囲に田畑が広がる、かなり田舎の方だったので、
市電が走る地域が都会に見えたものだ。

爆落下中心地公園北側、小高い丘にある。
平和公園停留場で降り、丘の上まで登ってみた。
土曜日の午前中、公園には多くの人が訪れ、平和祈念像を仰ぎ、平和を祈っていた。
子供の頃、毎年、テレビを通して見た平和祈念像を目の当たりし、原爆で亡くなった方々のことを思った。

平和公園に建つ平和祈念像

浦上天主堂

平和公園から東に見える。浦上天主堂を望む。
平和公園の丘を下り、浦上教会が建つ丘まで登った。
教会横にある旧浦上天主堂の遺構を見学し、爆風の凄まじさを目の当たりにし、平和であることの幸せを感じた。

長崎は起伏に富んだ地形で歩いていて楽しい。
坂道の上り下りは疲れるが、丘などから眺める景色は格別だ。

浦上天主堂

長崎には、仕事と合わせて1日余りの滞在だったが、異文化を取り込んだ独特な世界観を持つ街に魅了された。
機会があれば、また訪問したいと思っている。
次回は、じっくりと歩きたい。

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