#10 なぜ西の起点を高麗橋まで伸ばしたのか?(その2)
秀吉が整備した城下町
1583年(天正11年)から始まる秀吉の大阪の城下町作りは、上町台地上が中心となり、谷町筋以東の上町・玉造一帯と南の平野町一帯が中心であったと推測されている。城から南に通りが延び、奥行き20間、竪型の町割りが行われたみられている。
東横堀川を開削して惣構の城となるが、東横堀川の開削時期については、1585年(天正13年)説と1594年(文禄3年)説がある。
1598年(慶長3年)になると、秀吉は大坂城と城下町の改修に着手している。この時期、伏見に