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【映画エッセイ】ドキュメンタリー「骨を掘る男」奥間勝也監督

2024.6.23加筆・修正
*映画はクリスタル論による映画エッセイです。

慰霊の日6月23日を明日に控え『骨を掘る男』を桜坂劇場で鑑賞。

奥間勝也監督とガマフヤーの具志堅隆松氏も舞台挨拶あり、と聞いたが、現在ハンガーストライキ中と新聞で読んだので舞台挨拶あるのかな…と心配していたけれども具志堅氏は日焼けした精悍な様子で現れて、ほっとした。(写真は、スマホを自宅に忘れて撮り忘れ!)

ガマフヤーの具志堅隆松氏は、沖縄に点在する洞窟や密林の中、亡くなった遺骨を掘り起こす活動を続けて40年。具志堅さんの淡々とした作業風景とテンポを合わせるかのように、奥間監督の淡々としたナレーションが重なる。

戦争を知らない世代のウチナーンチュでもある奥間監督の問いは、「あったこともない人の死を、慈しむことができるのか」。

遺骨収集の作業をする中、突如持ち上がった辺野古の埋め立てに糸満の土地の土が使われる話に具志堅さんは猛抗議する。おそらくたくさんの遺骨を含んでいるだろう土で海を埋めたて、新たな基地をつくる政府の非道を訴えた。

その言葉は、驚くほど論理的で、明瞭で、こんなに冷静に、論理だてて、言葉で抗議するウチナーンチュを私は見たことがあっただろうか、ないかもしれない、と感動した。

(舞台挨拶で、具志堅さん曰く、ー取材希望のジャーナリストは多いが対応するのはとても大変なようでー最初塩対応すればいずれ来なくなるだろうと思ってたら)かなり粘り強かった、という奥間勝也監督。具志堅さんの活動のコア(遺骨収集)に迫りつつ、戦争で亡くなった自身の親族の正子さんの足跡をさがす。その中で(介護を受けている状態でもあり)もう思い出すこともないのではないか、と思われた妹さんが、姉を思い出し、その名前を読んだ時の瞬間は、ぐっと胸にきた。

劇中では、祖父の足跡を負った孫さんが出てくるが、先日体感したお芝居「洞窟(ガマ)」と共鳴しあような不思議な映画体験でもあった。

映画の後半、「平和の礎」のお名前を読み上げるボランティアの活動が紹介されるのです。実は、このお名前読み上げボランティアを、(映画と深くかかっていると知らずに)偶然に前日にキャンセルで空きができて、zoomで初参加することができました。

私が読み上げたのは、旧那覇市の垣花町の人々と愛知県からの人々でした。沖縄側は老若男女の名前がみてとれて、対し後者は(年齢の記載はない)男性のお名前ばかりでした。(それだけで、沖縄は住民を巻き込んだあり様が目に浮かび、本土からきた男性たちは、学徒隊か、兵隊さんだったことが想像できました。)

名前は、生命の誕生を祝ってつけられるので、特別な力があるのだろうか。名前を読み上げるだけで、確かに、ちょっとだけ近づけた気がして、奥間監督の問い「人は、あったことの無い人の死を慈しむことができるのか」にの答えにつながる行為だなと、しみじみ思いました。

[自分の意見が多く読み苦しいものを感じたため中略。]

2度と同じことが繰り返されんために、常日頃から自分の頭で考えて自分の言葉で伝える具志堅さんのように「もう黙っちゃいないよ」と言い続けることも、大事だ、と胸に刻んだ。

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