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パックマンの絵を見て思い出したこと(忘れちゃいかんと思って書く)

追記:24.6.21

稲妻が落ちた。私の脳天に。


それは突然やってきて、私は急に人生が薔薇色になった。


それはとても単純なことだった。



ちなみに、突然に白状すると、私は自己啓発の本が大好物な人間です。
(でもすぐ忘れるから、よく同じ課題の本を繰り返し買うのだけど…)

思えばこの事実も何回も読んでいたと思うし、割とありきたりだけど。

とはいえ「知ってる」と「わかる」の違いの凄さを思い知ったのです。
自分ごととして。

単純にいうと、上記のパックマン的絵が表している。

(ちなみに昨年このことに気付いたその日に、アメリカ在住の知人に絵と共に話したら、その人も全く同じ絵で、同じことを人に話しておりびっくりした!「集合知」ってあるのかも、と思った。)まぁ単に、インスタなどで同じ絵を見ただけかも知れないが!笑)

何はともあれ、自分がずっと「ないものねだり」をしていたことに気づいたのだ。


「ないこと」にばかり執着し、あるものを数えたり、大切にしていなかった。

今までずっと持っていたコンプレックスから解放された、それだけのことだった。


それだけのことだったけど、天地がひっくり返るほどの爽快感だった。


きっかけになった詳細は、本当にくだらないので省くけど。
尊敬する人からの言葉に傷ついていた。それは長年の積み重ねで余計に拗らせてしまっていた。で、それを紙に書き出して、「大人の女」として客観的に見ると、なぜこんなことでクサクサしてるのだろうと思えた。なんなら、その人に悪気がない、ことにも気づいた。

思えば、自分自身が興味のないことなのに、会話のために話をしてた。そゆのは、好きな人からしたらわかるので、不快にさせたのだろう、とわかった。

そして、何が自分をそうさせていたのかというと、絵に戻るけど、まさしくパックマンだった。

自分の、欠けてる部分を必死で埋めようとしてたのだった。

自分にはこんなに「ある」のに、欠けてる部分を必死でカバーしようとしていたのだ。

「ある」に目をむけたら、すごい。


全て薔薇色に見えて、感謝で涙さえ出てきた。




(・・・・更年期なだけかもしれないが・・・)

思い込みの激しい人生を送ってきたけど、この思いこみに救われることもあったけど、なかなか損な見方だったかもなぁとも強烈に思った。


もしかしたらいるかもしれない同志(ないものばかりに目がいって苦しくなってる人)に、偉そうにアドバイスすると、自分のことを「ちょっと天邪鬼かも」と認識する人は、要注意。

方向が違うだけで、意外と、自分に向き合ってなくて、周りの意図に影響されてるのは、流される人と、一緒なので。(*ちなみに、流されても全然OKで、天邪鬼でも全然OKと思うけど、そんな自分が嫌だとか、ふと思ったりモヤモヤしてたり自分が自分から幽体離脱してる感じがあったらという意味)

今一度、自分と向き合ってほしい。自分にないものじゃなくて、あるものを数えてほしい。たくさんあるから。


また、実際、比較的苦労せずに生きてきた自分でさえも、ないことに目を向けることで被害者意識を増長させてたりしてきたので、私以上に、辛い境遇のひとや子どもを想像すると、きっと経験とも重なってしまい、思い込みを強固にするかもしれない、と思うと、いたたまれない。

苦しい思いをしてきた人ほど、ぜひこのことに気づいて、好転させてほしい。


という、おっきな気づきがあったのでした、昨年2023年の10月ごろに!

すぐ忘れるから、この機会に書いておこうと思った。


終わり。

サポートをいただきありがとうございます。宮平の創作の糧となります。誰かの心に届くよう、書き続けたいと思います。