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このごろの話とリアルな夢の話

5.25 誤字訂正と加筆修正。

今日も絵から先に描いて文を書く実験。
最近ヤンバルに行くことが増えております。
さる4月21日の塩屋マラソンで、鈍足で走ったのも良かったのだと思います。

ヒィヒィいいつつも、炎天下の中ギブアップしないで走れたのは、綺麗な景色がみれたからだろうな…(といいつつ、途中のトンネルの中がクールダウンできて最高にありがたかったけど)穏やかな自然のおかげで完走できたと思います。
絵はその色々がつまった、ヤンバルの風景のつもりです。

4月末、1つ長編映画(フィクションもの)の企画書をかきました。こちらも実は2015年に考えた企画が宙ぶらりんになっていたものだったのですが、ヤンバルの刺激のおかげで一歩が踏み出せました。これは今月末にちょっとしたプレゼンに出場できるか否かの結果がわかります。ひぇー。

5月に入って12年前に生まれた別企画が復活し(こちらは映画とは違いますが)急遽動き出すことになりました。ヤンバルの自然、私が考える物語、とある造形アーティストさん、ヤンバルの友人ご夫妻、この4者がひとつ欠けても再び動き出すことがなかった企画でもあり、久々のチームワークにちょっとワクワクしています。

さて、話はかわって・・・夜ねたときの夢で、とてもリアルな夢をみることがあります。

皆さんはありますか?

たとえば、こんな夢があります。

アジアのどこか。(日本ではない感じがする。)一人の乏しい農家の人間の「私」は(ベトナムのような帽子をかぶってる。男性だと思うはっきりしないのは、POVだから自分では自分の容姿がわからない)市場で野菜を売ったあと、家の手土産に手頃なお茶碗をもとめて、みています。そこに内戦っぽい銃撃戦がはじまり、流れ弾に当たるという、なんともお間抜けなかんじで、巻き込まれて死んでしまう。英雄でも誰を庇ったでもなく・・・。
 携帯のない時代なので、最後に、村にのこした妻と子どもが自分が帰ってこないことを心配しないか、と思いながら死んでいきます。

あまりにも鮮明なので何度目かの自分の人生だったのかと思ったりしもします。

自分の戦争反対は、もちろん沖縄という土地に生まれたからということもあるのですが、国家間の出来事に、なんの関係もない人たちが巻き込まれて死んでしまう、その悲しさがあり、その夢の影響は大きいです。

まとまりがなくてすみませんが、今日はそんな話で終わります。


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