しんどいけどやりきった仕事の中に、「頑張らなくてもできること」が隠れてる?
なんだか頑張るシリーズのnoteを書いてると、続きを書くためのネタがタイミングよく出てきてくれるものでw
今回はこちら。
言わんとしてることは分かるけど、これでいくと大半の人は「自分に向いてることなんてない」と考えちゃうんじゃないかなと。
まず大前提として、「頑張らないと!」と思ってる人は、別にただ頑張りたくて頑張ろうとしてるわけじゃない。
何かを頑張ることで、何かを実現して、そこから何らかの利益を得たいから頑張りたいと思っている。お金とか承認とか。
「アニメ見る」とか「ゲームする」なら一生続けられると思える人はたくさんいるだろうけど、それだけで満足する人はほとんどいない。
自分が楽しむだけじゃ稼げないから。
冒頭のツイートに合わせて言えば、どんだけ素振りして野球の技術が身についたとしても、利益を得るには体育会系のしごきを乗り越え、プロとして大成するまでの忍耐が必要だし。
絵がどれだけ上手でも、それを多くの人に届けるためには別の技術が必要で、これは絵の才能とは関係ない。
たまに「数字増えるのが快感」という感じで、SNS運用を仕事にする人もいるけど、そういう趣味ならどうか?
そういう人にとっても、投稿内容の研究は別ジャンルの行為なわけで、「いいねのためならリサーチも苦にならない」ということになる。
ツイートに書かれてる「才能ある人」は、単に「好きなことのためなら、他のことも頑張れる」という人のこと。
結局のところ「他のことを頑張ってる」のよ。
頑張ってるから、才能を活かせてる。それだけ。
もし、頑張ってることを自覚していないのだとしたら、それは「努力を努力と感じない才能」持ちということになる。
つまり…
意識的に「頑張らないと!」と思っている=「努力を努力と感じない才能」は持っていない
結局は頑張るしかない…。
あぁ、なんと救いのないnoteなんだ…。
でもね。
「頑張れた経験」は誰にだってあるんですよ。
で、そんな頑張ったシリーズの中に、実は「なんかいい後味もあったな」っていうのもあるはず…。
それも、全体としては「しんどい・キツい・ウザい・もうやりたくない!」といった思い出が中心で、そんな中にいい後味があったはずがないと思えるような経験の中に。
そこに、「"努力を努力と感じない才能"の原石」がある気がしてる。
昔話になるけど、僕の例を紹介してみると…。
ミリタリーオタクな僕は、就活するときに防衛産業(いわば「死の商人」w)ばかり受けて、造船メーカーに就職できたわけですが。
新入社員の頃は、建造時間が短くて、造船の一連の流れを短期間に経験できる民間貨物船の担当に。少しずつタイミングをずらして並行で連続建造するから、2ヶ月おきに船が完成する。
当時の配属先は工場の営業部で、一番の大仕事は船の完成&引渡し記念セレモニー。
その中でも重たいのが、「実施要領」の作成。
セレモニー当日は、来客対応はもちろん、彼らが乗ってくる車両の誘導、来客が移動するタイミングと経路で現場作業を一旦止めてもらう、パーティー会場の準備の確認、船内見学の安全管理…などなど、やることがたくさんあって、他部署からの応援も含めて30~40人の係員に指示を与えないといけない。
営業部内のベテランから、他部署からの応援できた新人まで、誰をどこに配置して、いつ・どこで・何をしてもらうのか、文章と図で説明するのが実施要領。
前もって作っておければなんてことないんだけど、来客の人数やその陣容が直前になって変わることも多い。
客先のトップが専務から社長に変わりました~とかなると、こちらが手配する送迎車のグレードを上げたり、式台の立ち位置が変わったり、会社側も社長が来なきゃダメじゃん…などといった、直前どんでん返しがちょいちょい起きる。
そうなると、細かい指示の塊である実施要領も変更が必要になって、ラスト1週間は日をまたぎ、土日も出勤、本番1~2日前は徹夜…というのがお決まりのパターンだった。
で、先に書いたとおり、船が毎月のように完成するということは、セレモニーも2ヶ月おきにあるわけで、一息ついたと思ったら次の船のセレモニーの準備が始まる。
一応、民間船チームは2つあったとはいえ、きっちりカウントすると残業月100時間と40時間が交互にやってくる…という感じだった。
当然キツかったし、セレモニーの翌日にダウンすることもあったほどだけど…。
こうして振り返ると、不思議なことに「充実感もあったな」という印象なんだよね。
これを「達成感」とか「やりがい」というのかもしれない。
僕の場合は、ぶっちゃけお客さんが喜んでくれたからとかではなくて、実施要領通りに事が運んで、「すべて計画通り」ってなるのが快感だった気がする。
2年目からは念願かなって自衛隊&官公庁の担当に。
鬼の連続建造ラッシュの民間船と違って、年単位の時間をかけて建造されるから、セレモニーも1~2年に一度にはなったものの、その1回がめちゃ重たい。
次に担当したのは海上保安庁の巡視船で、ウチの会社が受注したのは実に15年ぶりとか。
当時のセレモニーの実施要領もデータは残っていたもののめちゃくちゃアバウトで、そもそも別の工場で実施されたものだから、流用できない。
ここで、僕は謎のやる気を出した。
このハードな局面で、どうすれば残業を少なく乗り切れるのか?と、真剣に考えた。
行き着いた答えは、「実施要領の精度をめちゃくちゃ高める」だった。
それまでの指示文が「いつ・誰が・どこで・何をする」だったのを、「いつ・誰が・どこで(メートル単位)・どのように・何をする・○○に注意」みたいな感じに。
応援をお願いした人から後で問い合わせを受けたり、本番で意図と違う動きをされないために、先に手間をかけて不明点を潰しておいた形。
そして、ピンポイントで場所を指定するには正確な配置図も必要だから、それまではざっくり見取り図だったものを、工場のCAD図面を下絵にして縮尺を合わせた図を作った。
これが意外なところで効果を発揮して。
会場の設営は、普段は船を作ってる現場部門が取り仕切るんだけど、それまではざっくり図をベースに、現場が考えて設営してたのが、「これほぼ図面じゃん!」と感動してくれたんだよね。
自分がラクするためのモノだったはずが、「営業がここまでやってくれるなら、俺たちも頑張らないと!」と奮起してくれて、まぁ調整がスムーズになるわ、謎の信頼も勝ち取るわw
(僕、現場の職人気質の人たちと交渉するの苦手でイヤだったんよ?w)
これには、日頃から工場内の序列ではどうしても現場より下に見られがちなことを悔しく思ってたっぽい営業部長も喜んで、「あれはお前にしかできなかった!」と絶賛される。
こんなことが起きると、嬉しくなっちゃうよね(ちょろい)
その後、海上自衛隊の護衛艦のセレモニーも担当したけど、これまた前例のないサイズ・形の護衛艦だったから、前例は参考にならず。
それでも、こうして改善を重ねてきた実施要領のノウハウがあったから、セレモニーの規模は10倍は盛大なのに、民間船と同じぐらいの残業時間で乗り切ることができた。
こんな感じで、「うわ〜、またこの時期が来たか」という、イヤな仕事だったはずなのに、いざ着手すると深夜残業・休日出勤してまで情熱を込めてやっていた実施要領づくり。
これ、客観的には「努力の賜物」だけど、やってた最中は「ゾーンに入る」というやつなのか、努力っていう感じじゃなかったんだよね…。
これが、今の僕にどうつながっているかというと…。
僕が旅行前にものすごく緻密な計画を立ててるのは、この特性が発揮されてるからなんだよね。
「よーし調べるぞ」なんて意気込むことはなくて、気付いたときには調べ始めていて、後から「あかん、もうこんな時間…」みたいなことになりがち。
つまり、自分が旅先に降り立ったときスムーズに動けるように、事前に緻密な計画を立てていて、その計画段階を努力だとは感じていない、ということ。
あれれ…?
この理屈でいくと、僕は「努力を努力だと感じない才能」を持っていながら、「頑張らないと!」と思っていることに…。
たぶん、僕は「厳しい状況をラクにするための努力」は努力と感じないけど、今や厳しくもなんともない「ぬるま湯生活」が実現してるから、この特性が発動しないのかもしれない。
あぁ、だからここ何年かは今ひとつ満たされなかったのか…?
すでに達成されてることを、まだ達成してないと思って続けていたのだから(このnoteを書いてて気付いた)
だとすると、ここから僕が新たに「頑張らなくてもできること」を見つけるには、
厳しい環境に身を置く。それをラクにするための努力を努力と感じなかったら、それが「頑張らなくてもできること」
「頑張ればできること」を頑張って、いずれ習熟すると「頑張らなくてもできること」になる
イヤな2択だなぁ…(苦笑)
昔話のときは、会社という他者からの圧力があって、そのおかげで才能が発動したとはいえ…。
その後「ラクになるために辞める」という選択もしたから今はフリーランスなわけで、あらためて厳しい環境に身を置いても逃げちゃうような気がするんだよね。
そんなわけで、当面は頑張ることを頑張る、2つ目の選択肢を取ってみようと思う。
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