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新しい公共施設の中に棚を作るため、杉村さん(仮名)と僕は、軽トラックに乗って職場から少し離れたのコメリに向かっていました。

杉村さんは、庁舎やその他の公共施設の修繕や棚の設置など、簡単な大工仕事をしている用務員さんです。杉村さんは、用務員になる前、自身で工務店を創業し、棟梁をしていました。

僕は今月末で13年間働いた町役場を退職します。杉村さんにそのことを告げると、少しだけ心配してくれた後「夢を追った方がいい」と励ましてくれました。そして、杉村さん自身の人生について話してくれました。

以下はその話。僕のために話してくれた杉村さんの人生は、学ぶことが多いし、色んな人にも知ってほしいので、書いてみました。

人生は一度きりだから、夢を追った方がいい

「俺は最初は調理師になりたくて、上京して修行した。板前になりたかったんよ。でも、修行を続けるうちに、違うなって思って、東京から帰ってきた。

上京する前は、フラフラ遊んでばかりやったから、帰ってきて、またフラフラするわけにもいかないし、大工を目指すことにしたんよ。

そしたら俺の親父が、頑張れよって言って、ノミとトンカチを買ってくれた。それから、自分で家を建てたいと思うようになってね、大工の見習いを始めたんよ。

大工の仕事は、仲間の仕事を目で見て覚えんといけん。だれも教えてはくれんのよ。聞いていいのは2回までやった。分からないことがあって、現場の棟梁に聞く時、2回までは教えてくれる。

でも3回目は教えてくれない。自分で考えろって言われる。うるさいって言われる。厳しいもんよ。だから、棟梁や仲間がやっている仕事をしっかりと見るようになった。

そうやって作っているんだ、とか、あんな風に測るんだ、とか、人の仕事をしっかりと見るようになると、自分がやるべきことが分かってくる。

ある時、1つの事がわかったら、2個とか3個とかのことがつながって分かるようになるんよ。

大工の仕事は、色んな技術の組み合わせやからね。色々勉強して、覚えてきたら、ある時に、それが全部つながっていることが分かる時がくる。

そうしたら、もう一つ上のところで仕事が出来る。

タカキさんも、そうやって、やっていったらいいよ。そのかわり、4〜5年は苦しいぞ。でも、それが自分がやりたいことだったら、苦しくても続けられるやろ。

俺も大工になりたかったし、棟梁になりたかったから、続けられたし、大工にもなれて、棟梁にもなれて、その仕事を認めてもらって、歳をとっても用務員として雇ってもらった。

苦しいかもけど、一つ一つやっていったら、いつか夢は叶うよ。頑張り。さみしいけどな」

杉村さんとは、たまにしか一緒に仕事をしない。しかし、大工としての長い経験がある杉村さんの話を聞くのが好きだったから、一緒に仕事をする時は、よく色んな話を聞かせてもらった。

大きな話ではないけど、しっかりと地に足がついた、いい言葉を話してくれる、杉村さんの話を聞くのは大好きだ。

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