言論の自由を全うします!安部晋三さん銃撃事件〜今回の選挙を踏まえて、今の日本について思うこと。


一般市民である僕が言論の自由にのっとって、正しいとか正しくないとかおいといて、率直に感じたことを書きたいと思います。

まず、安部晋三さん、心からご冥福をお祈り致します。
僕は安部さんの信者でもなく、政治に詳しいわけでもありませんが、どんな政治的な理由があろうとも他殺されたことに対して憐れみの気持ちしかありません。

法律的にも倫理的にみても、どんな理由があろうとも人が人を殺すことは罪です。それが例え復讐であっても。

今回の安部さん銃撃事件について奈良県警は警護に問題があった(問題があったことは否定できない)と認めていましたが、その責任は誰がどうとるのでしょうか。

いうまでもなく警護に問題があったのは皆周知の事実だと思います。

TVなどの報道で得る情報では、問題がありました、改善していきます主旨のコメントだけで、誰かが辞任したりといったことには至っていないようですね。

適切な対応を講じますって、わざわざ言うようなことでもなくあたりまえだしそれを肯定するかのように放送するTV局や報道機関に対してもどうかと思うし、この一連の茶番「しょうもな」と思いました。

若者や子供がやってることならまだしも警察やTV局って、日本を支配しているとても責任のある(重要な)機関なわけですから。
そこには莫大なお金がかかっていたり(結果、無駄金)、税金で運用されているわけで、税金を納めている身としては本当に残念でしかたがなく正直日本に対してがっかりしてます。

自分が育った国日本は僕にとって当たり前だし、良い国だと思ってた。(治安の面など、沢山良い所はあるし、今も、良い国だと思う点は多々あるが)

と同時に、SPについては改めて大変な仕事(もっと重い表現があれば良いが)なのだなと考えさせられました。
最悪人の身代わりになって自分の命を落としてしまうかもしれないわけで、到底自分にはできないなと思いました。
が故に、SPがSPとしての役目を果たすためにはお金(給与)だけじゃない何かが必要なのだろうな思うんです。
そもそもSPの仕事の成り立ちを想像すると、例えば戦国時代など武将(リーダー)を守るために警護をしていたと思うが、本気でこの人を死なせたくない、死なせてはいけないという忠誠心の元になりたっていたのではないかと思う。お金などない時代であれば尚更。
そう考えると現代において本当の意味でSPという仕事は成り立つのだろうか。
今回の事件はそういった事も背景にあるのではないかと思っています。
もちろん奈良県警の対策不足や配置ミス、教育不足、危機感のなさなどもあると思います。
銃撃などされないだろうと考えていただろうし、今の日本の警護は「銃撃を想定していない」という見解も目にした。

銃撃などされないだろう、という過信については
団塊世代が時代についていけてないこととほぼ同等だと思う。これは今回の選挙でガーシーが当選したことにも関連すると思っている。

日本や社会を牛耳っている団塊世代とバブル期以降に生まれた世代との格差?ギャップ?を明確に感じます。
ゆとり世代というのがありますが、それはおいといて、大きくわけるとその二つになるのかなと。

インターネットが普及し急速に日本も変化をとげましたが、団塊世代はそれについていけていない。
中にはアンテナを張り巡らし適応している人もたくさんいると思いますが、今回は割合的に一括りにさせてもらいます。

そんな中、インターネットを駆使する若者達の中では様々なことが進み、世代間の格差はさらに開いているように思います。

天下りや丼勘定など、バブル時代の感覚では今の世の中やっていけません。もうそーいう時代になってしまったのです。
お金や権力だけではどうにもできない世の中になってきているのだということ。

これはどちらが正しいとかではなく、問題は世代間格差が大きく開いていることだと思うわけです。

インターネットの普及により加速したと僕は認識していますが「便利なこと」「新しい技術」というのが一概に全て正しいとは言えないと思うんです。
これはどの業界においても言えることだと思います。

その人間の欲が結果的に自分達人間を苦しめているということ、20代前半の頃になんとなく後ろめたさを感じていた記憶があります。
簡単にいうとアナログの良さ、みたいなことです。

デジタル化が進むことは便利ですが、ついていけない世代、取り残された世代は生きづらく、それによって起こる格差など、人類全体でみると本当に得してるのか疑問です。

今の日本はそーいうことに直面しているのだと思います。

う〜んと、もっと色々書きたいことはあったけど
疲れたのでこの辺にします。

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