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お伊勢さんに参らず、南伊勢の浦巡りへ


Holiday Works 004        2020         一月吉日


愛知県の伊良湖岬から伊勢湾フェリーで一時間もすれば三重県の鳥羽。そこから車で30分もあれば伊勢の内宮に着く。愛知で育った僕にとって三重と言えば伊勢、伊勢といえばズバリ伊勢神宮のことを指し、その以外の三重にはこれまでほとんど足を運んだことがなかった。

そんな僕が今回目指したのはお伊勢さんではなく、南伊勢。三重県の海に面した南側、リアス式海岸で有名なエリアです。まずは鳥羽からパールロードと呼ばれる立ち喰い的な牡蠣スタンドが軒を連ねる美しい海岸線を南へひた走り、志摩を目指す。伊勢・志摩と一括りに言われることが多いんですが、サミットを機にさらに志摩の魅力が世に広く知られるようになったように思います。

複雑な地形が作り出す自然美、湾の中のどことなく緑っぽく淡い海の色、山脈のように連なって見える島影。調べれば調べるほど、三重の南側の海岸線に行くことが楽しみになっていました。

キャンピングカーで旅していて、僕が一番よく使ってるAppはGoogle Map。現在地からレストランやスーパーマーケット、美術館やガソリンスタンドなど近場にあるものを検索するのにお役立ちなんですが、今回は灯台、展望台などのキーワードが旅の道標になってくれた。これで志摩全体を俯瞰で見てみると、リアス式の湾が形成されている英虞湾(あごわん)が強烈な個性を放ってます。ググってみてもG7伊勢志摩サミット2016もこの英虞湾にある賢島(かしこじま)で開催された、とあります。

とりあえずその辺に向かおうと車を走らせていると、出てくる地名の神々しさに目を奪われます。どっちに行ってもなんかいいことありそう!

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国道260号線を走っていると、夕日の見える国立公園って看板が見えてきたんで、そこに行くことにしました。伊豆の時のジオパークじゃないですけど、基本、国立公園は行きたいんです。英語圏ならNational ParkもしくはNational Reserveと呼ばれる国の自然保護地区です。珍しい生態系や動植物に出会えることも多いですしね。さぁ今回はどんな公園だろうとワクワクしながら夕陽の名所を目指しました。

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……最高でした。予想以上の素晴らしい景観に圧倒されました。

もう今日はここで寝よう!と、自分会議で即決でそういう運びとなりました。ともやま公園という大きな国立公園の、その突端にあるのがこの桐垣展望台です。翌日、目が覚めたらそこはまさにワールドクラス! 日本では見たこともないような色合い、景色に感動しまくり、またパラダイス感が全身を襲ってきます。来た!これまた新たなパラダイスや!

まずはウォーキングを1時間ほどしてからストレッチ、スクワッド、筋トレ。ポッドキャスト(Holiday Works 002)で配信しましたが、浜松のなんでも作っちゃうクラフト・サーファー、タツヤさんに教わったメソッド。簡単に言うとインナーマッスルと呼吸法なんだけど、これを浜松以来ずっとやってる。

腰痛の原因って、ほぼ日々の習慣によるものらしいんです。普段の姿勢が悪かったり、寝転んでばかりいたり。タツヤさんと話していて、お金で買えないもの、でも自分で手に入れられるもの、その筆頭格にきたのが自分の身体の健康です。腰が痛いからマッサージ行ったり、整体やカイロ行ったりするのではなくて、お金をかける代わりに時間をかけて、深く呼吸しながら意識を集中して自分の身体のメンテナンスをする。これを心がけるようになってから腰痛はみるみるうちにその影を潜め、今はド健康!いい感じ!

さて、しっかり朝の新鮮な空気を身体中に浸透させた後、いよいよ海岸線をドライブです。まずは志摩の英虞湾の顔役、賢島。ここは観光地としても長年の歴史を感じますし、各国の要人を迎え入れるだけのインターナショナルなテイストも感じられます。でも僕にはあまりピンとくるものはなく、足早に伊勢海老で有名な浜島に向かいました。

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行って驚いた。港町の集落なんだけど、どこか懐かしい古い町並み。まっすぐな道なんてあんまりないし、くねくねしてる道の太さはまちまちで突然狭くなったりして、そしたら僕のキャンピングカー、曲がりくねった路地で完全に立ち往生しちゃいまして…。ああでもない、こうでもないとハンドルをグリグリやってたらガガギギ〜と、ついにどちら様かの塀にあて擦っちゃいました。うわぁ、やっべーと思って車降りて、その家に向かってすいませ〜ん!ぶつけちゃいましたって言ったら日に焼けた強面のおじさんが出てきて、家よりも先に僕の車を見て、

「これお前さんの車やろ? 少しコスっとるけど、まぁしゃあないな」

そう言って今度は僕の車がこの集落から出るまでオーライオーライ、ハンドルもう少し右や!なんて手伝ってくれました。ほんとに頭が下がりっぱなしで申し訳なかったんですが、いい人ん家にブツけてよかったです!(本当に申し訳ございませんでした)


ここから僕の三重の旅が始まりました。


おじさん曰く、この辺は浦と呼ばれる集落が点々としていて、それぞれの浦に特色がある、と。この浜島は伊勢海老っていう強烈なウリがあるので活気があります。あと夕方になると通りにびん玉ロードっていうガラス玉を灯した通りがこれまたなんとも幻想的なムードも醸し出しております。伊勢海老も一匹680円で売ってるし、びん玉あるし、浜島は今後たくさん登場する浦の中でもちょっと都会感あります。このあと数多くの浦を訪れますが、浜島は浦の中の都会っていうか。よく考えたら名前に”浦”が付いてないですからね。浦じゃないかも。

260号を走ってると田曽浦、宿浦、中津浜浦、五箇所浦、迫間浦、磯浦、相賀浦、阿曽浦、慥柄浦、贄浦、奈屋浦、神前浦、方座浦、古和浦と、もう浦だらけの浦巡り状態です。どの浦もすごい似てるけど、少しづつ違ってるのを発見するのがだんだんクセになってくる。

浦から浦へと向かう道中も面白いぐらい景色が変わります。高速道路に乗ってるとずっと同じ景色ですが、この往来の少ない一車線の国道は海あり山あり谷あり川あり、時々浦ありという走りどころ満載のドライブルートなんです。教えてくれたのは三重で行政関係の仕事をしてた経験のあるやばとんさんという友人。Lineでこんなメッセージをくれました。

「南伊勢町の旧南島町になんとか竈っていう地名があるんですけど、落人の集落だって言われてます。原発誘致を撤回させたりしたところで過疎化は激しいですけどね」

今度は竈(かま)!

調べてみると800年前の源平合戦、その戦に負けた平家の落人たちがこの地に辿り着き、塩を竈(かまど)で焼いて生計を立てていたというのがこの地の平家落人伝説。古くより八箇竈と呼ばれたそうだが安政時代に津波でひとつ失くなり、いまは7つの竈が残っている、と。

通行竈と大方竈は山道を走ってるとそこに出るって感じで素通りしてたし、阿曽浦と大方竈の入り口は同じところだからセットで訪れたし…あ、でも一番気になるのは相賀浦かも。元の名前は相賀竈。なんでこの浦は、というかこの竈は浦に名前を変えたんだろうとひっかかって。

その疑問をとある浦の漁師っぽいおじさんたちに聞いてみました。そうしたら竈の話はあんまりしねぇんだって前置きをしながら、いろいろと教えてくれた。聞けば竈は部落だと。漁業をすることが許されておらず、土方などの仕事につくという。その言葉尻から浦の優位性を感じたし、田畑をほとんど見かけないこの地において漁業を生業にする者たちの誇りも、正直感じた。

今の時代に部落の話をするのは難しい。語ることによってその土地を部落と再定義してしまう恐れがあるからだ。地方によってはあそこの村ぐらいの感覚でカジュアルに部落という言葉を使う地方もあるが、関西圏に入るとその言葉にはどんよりとしたリアリティが滲んでくる。800年の歴史を持つかつての平家の子孫たちは時代から取り残され、のちに部落として扱われるようになってしまったようだった。

2020年。ハラスメントやコンプライアンス、人間の多様性や人権の尊さが当たり前とされる時代に100年ぐらい前のドロ臭い感性が漫然と残っていることにげんなりしつつも、浦のおっさん4人組の話に聞き入っていた。浦の男は基本、漁師。リアル魚民。日に焼けたダイナミックなおじさんが多いんだけど、喋るとみんな気の良い人。浜島のおじさんみたいに自分の家よりも先に人の車の傷を心配してくれるようないい人たち。そこに悪気なんか全然ないの。

じゃあ浦はどうなの? 浦だって珍しいじゃん。って僕がちょっと意地悪に聞いてみたら、「浦はどこにでもあるやろ〜、全国津々浦々ってなもんや」と豪快に笑い飛ばしていた。

そういう人たち。

女の人たちは海女さんもいっぱいいるんだけど、みんなほんわかしてる。で、これある時気づいたんだけど、三重の人たちの言う「ありがとう」には他の土地以上に感情が込められてるような気がする。

ただの言葉としての、社交辞令としてのありがとうじゃないの。「ありがとう、ありがとうね」って二回言ってくれたり、ありがとねと微笑んでくれたり。ちゃんと言葉に感情を乗せてる。三重弁の響きのせいかも知らないけど、だいたいの女性の「ありがとう(”と”にアクセント)」がかわいいです。おばあちゃんですら可愛いらしく思えます。

浦を歩く。灯台に行く。山間の細い旧道を抜ける。展望台に登る。この繰り返しのドライブの中で、牡蠣や真珠の養殖が盛んなこのリアス式海岸をあっちからこっちから何度も何度も繰り返し見ては、ひとり感動した。

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志摩のともやま公園から260号をひた走り、紀伊長島の道の駅マンボウまで約70km。高速道路だったら一時間で着いてしまう距離だ。でも260号はさにあらず。のほほんとした田舎の国道だと思ってナメてたら、淡い緑色の海が出てきてワイルドな山が出てきて、水の澄んだ川沿いを走り、滝を見に行って湧水を見つけ、旧道を抜けてはまた浦に出る。そしていくつかのトンネルを抜けたらまた朽ち果てた古道に出くわす。霞がかった湖畔のその先には熊野古道が待ち構えている。

まるでディズニーランドでアドベンチャーランドからウエスタンランドへ、はたまたトゥーンタウンへと次から次へとエリアを変えて一日中遊ぶ子供のように、僕はこの道を6日かけて3回も走った。志摩から南伊勢を通り抜けて熊野古道へ抜けるこの通りに少し前の日本の記憶がそのまま残っていたし、自然に関しては本当に稀なくらい、剥き出しの自然がでーんとそこに鎮座していた。海も山も川も全部きれい。きれいなまま循環してる。だから水も空気もおいしい。このエリアは古いけど、美しい。里山、里海。そう呼ぶのがふさわしい土地だった。書いててまたテンション上がってきちゃって褒めちぎっちゃったけど、この海岸線には伊勢の奥座敷ならぬ、日本の奥座敷とも呼ぶべき風情が、たしかにそこにあったのです。

今後、お伊勢参りに行くという友人がいたら勧めてあげてください。お伊勢さんのあと2日プラスして南伊勢のほうにドライブ行くといいよ!って。

それでは最後に旅の記録をご覧ください。

https://youtu.be/KiUCTmtG5jg



















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