小説『無題』~2018文学フリマ作品②~

(先日投稿した小説の続きになります。若干,出版したものに加筆修正加えました。よろしくお願いいたします。)


2. 「彼」
事件の第一報が入ってから6時間後,管理監が報告しに来た。「東雲という男,掘り下げてみたらいろいろわかりました」
「何が」総理はすぐに聞き返した。
「これを見てください」
総理に渡された資料には,彼の身元だけでなくカードの使用履歴,ネットの閲覧履歴,大学と大学院での研究内容,勤め先の情報などなど…この短時間でよくもここまで調べた物だと感心した。
「ほとんどがCIAとNSAのおかげです。誘拐犯の情報はあまりありませんでしたが,人質についてはたくさん送ってきました。皮肉なものですね。日本国民についての情報を一番多く持っているのが他国なんて」
「そうだな。だが,まだ同盟国でよかったと思うべきだ」
総理は資料に目を通しながら,デレクとの首脳会談でどんなことを頼まれるのか考えた。日米間の関税率の見直しの要求,防衛装備の購入……。少し考えてはみたが,決していい気分にはならなかった。
少しだけ肩を落とした総理を横目に管理監が要点を説明した。
「この男,ホワイトハッカーですね。大学時代にいろんなサイトをハッキングしてはネットでその成果を紹介しています。官公庁のセキュリティの脆弱性とかウィルスソフトの脆弱性とか。その腕を買われて就職したみたいです。政府にも出入りしていたみたいですね。NSCのサイバー防衛計画に関わっているようです」
それか。総理は,東雲伸一郎という名前が気にかかっていた理由をやっと思い出した。とするとこの一件はかなり良くない気がする。国のサイバーセキュリティの担当者が拉致されたのだ。
「25大綱にも関わっているのかもしれません。EU,NATO,イギリス,フランスと協力体制の構築を目指すと明記していました。我々は今現在,それが原因ではないかと考えています。まだ推測の段階ですが」
EU,NATO,OSCE(欧州安全保障協力機構),イギリスおよびフランスをはじめとする欧州諸国との協力体制の構築を目指す。東雲もそれに関わっていることは明らかだった。西側諸国の安全保障担当者が中国国内で拉致されたという事態は,深刻な問題だった。
総理は不機嫌になり,うなり声を上げそうになりながら尋ねた。「中国政府はなんと言っている」
「無関係の一点張りですね。本当かどうかはわかりませんが」
「わかった。今後これはNSCに引き継がせる」


NSCは,アメリカの国家安全保障会議を基に発足された。ここでは国家安全保障に関する重要事項および重大緊急事態への対処を審議する。通常は月2回程度だが,今は緊急事態である。最悪のケースを考えるなら存立危機事態に当たるかもしれない。招集され,状況を説明された議員たちは顔色を変えた。
いつもなら既得権益の応酬で決まる物も決まらない会議だが,この日は違った。今後は関係各国と連携して問題に対処すること,存立危機事態として扱うということが決定した。
会議後,首相はすぐにテレビ会議でEU,NATO各国の関係者と協議に入った。


その頃,東雲は国境にいた。まさか北朝鮮とは…これで救出はより困難になるだろう。
政治的に高度な配慮が必要なこの国に移動させるとは時間稼ぎ?この先のことを憂鬱という言葉では片付けられない気分になった。国に協力するんじゃなかった。自分はセキュリティの穴を指摘しただけじゃないか。それがいつの間にか防衛計画の多国間の枠組みに参加させられて,訳のわからない日本人に拘束されている。
「泣けるぜ……」一言だけつぶやくと彼は国境をまたいだ。


テレビ会議は紛糾した。こんなんだったら年金制度やプライマリーバランスを正常化するための財政再建を断行した方がまだましだと思えるくらいだった。結局どこの国も同じで,自分に責任が降りかかるのが嫌なのだ。面倒ごとが嫌いなのだ。
テレビ会議を切ったあとほとんど覚えていない会議の内容を思い出しながら防衛相に電話した。結局汚れ役はウチか。成功すれば全員が成果を自画自賛し,失敗すれば日本を叩くだけでいい。実に単純だった。こうなったらそつなくやるしかない。幸い最低限の協力はしてくれることになった。ただし失敗したときの全責任は日本が負うという条件で。
仕方ない。日本の情報機関で集められる情報などほとんど無いのだ。サイバー分野でもインテリジェンスの分野では他国に依存するしかない国防事情。
敗戦から70年近く経ったというのに,敗戦国というレッテルはやはりどこかの機会でまとわりついてくる。本当に厄介だ。特に防衛装備については本当に特に。
だが,それらについて愚痴るのは後だ。今はやれることをやるしか無いのだ。

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