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【組織の<重さ>】日本企業における組織の「重さ」という本質的な指摘を行った、経営学の歴史的良書(沼上他, 2007)

組織の<重さ>とは一体何でしょうか?何かと聞かれると明確に答えにくい一方で、確かに重い組織は肌感覚としてもわかります。こうした、日本的企業組織の<重さ>を解明するプロジェクトの結果をまとめた書籍です。


どんな書籍?

この書籍は、1980年後半頃から途絶えていた組織構造系の実証研究に関する反省を踏まえ、日本企業における実態、特に組織の重さという、日本企業における組織構造や組織特性に関する問題点を明らかにしようとする「組織の<重さ>プロジェクト」という、一橋大学を中心とした研究プロジェクトの結果をまとめた書籍です。

人・組織関連の研究は、どうしても海外が多いのですが、この研究は日本企業の実態を明らかにしたという意味で、経営学において大変影響力のある書籍です。
<重さ>という名を冠しているだけあって、内容も重厚なのですが、20年近く経ってなお、変わらない日本企業の構造的かつ特性的な課題を指摘しており、一度は読んでおくことをお勧めしたい書籍です。

本著の提示する問題意識として、冒頭に以下の記載があります。

われわれの認識では、まず第1に、かつて「日本企業の強み」であると思われてきたものが現在は機能不全に陥っており、その機能不全の根源に組織構造・組織特性の問題がある。また第2に、この組織構造・組織特性の問題を明らかにしなければならなくなったまさにそのときに、残念ながら組織構造に関する実証研究が不足する状況に日本の学界は直面していた。それゆえに定点観測的な組織構造のデータ収集が強く必要とされている。この2つの認識に基づいて、われわれは組織の<重さ>プロジェクトを創始したのである。

P2

ここに記載のある「日本企業の強み」として、多くの経営学者たちが根底の部分で注目してきたのは、「企業内に発達した横のネットワークを基盤としてミドル・マネジメントたちが自由闊達に議論を戦わせ、緊密なコミュニケーションをとりながら戦略を生成し、その実行にコミットしていくという組織の特徴だったのではないかと思われる」(P3)とのこと。

時々聞かれる、「ミドル・アップ・ダウン」(Nonaka, 1988)に基づく、ミドルマネジメント層による戦略創発プロセスが日本企業の強さだったと説明されています。こうした認識は、1980年代から2000年頃まで支配的な議論を占めてきたようです。

ただ、本著は、こうしたミドルマネジメント層による、ワイガヤ的な議論を通じた戦略創発を促進する要因・阻害する要因があまり研究されてこなかったと言います。特に、「ミドル・マネジメント層の有効な組織的相互調整を阻害するような何らかの組織問題」(P8)に対する認識が薄かったとのこと。

その一因として、トヨタの「カイゼン」が世界的に注目されたこともある、と指摘されています。つまり、日本企業すべてがトヨタ式ではないのに、行動経済成長による日本の勢いもあって、日本企業の構造的な問題に着目するよりも、良い面に過剰に注目があつまったことが、幻覚からなかなか醒めなかった要因では、と分析しています。
(なるほど、たしかに!と感じました)

その後、バブル崩壊以降に、少しずつ日本企業の問題が研究され始める中で、「他者の企画を批判・批評するだけの上司」「部下に問題を押し付ける上司」など、周囲の努力にフリーライドする上司が出現し、こうした人たちとの内向きの合意形成(根回しなど)を必要とする、過度な「民主制」があったとのこと。

すなわち、ミドルマネジメント層によるワイガヤ的な議論や調整といった強みは、表裏一体で、「内部の対立を避けて調和を過度に強調し、問題のある人にも過剰に配慮するという『緩んだ共同体』に堕する可能性」(P14)もはらんでいた、とのことです。


組織の<重さ>とは一体何なのか

上述の問題意識をもとに、一橋大学の教授陣が組成した組織の<重さ>プロジェクト研究が、本著のベースです。
第2章では、組織の<重さ>の指標作成について論じられています。どのように、組織の<重さ>定義したのかを見ていきます。

組織の<重さ>という概念は、周囲の人間の無責任さやフリーライド行為、経営リテラシーの低さ、内向きの合意形成のための過剰な労力支出などに注目されたもので、以下のように定義されています。

通常の組織運営や創発戦略の生成・実現に際してミドル・マネジメント層が苦労する組織を「重い組織」と呼び、そのような組織劣化の程度を組織の<重さ>と呼ぶ。(中略)様々な先行研究とそれまでの日本企業の観察にもとづいて、われわれは当初、この組織の劣化度を次の4次元で概念化できると想定して研究に着手した。
(1)過剰な「和」志向
(2)経済合理性から離れた内向きの合意形成
(3)フリーライダー問題(社内評論家)
(4)経営リテラシー不足

P27-P28

(1)過剰な「和」志向
生活共同体やムラなどのメタファーを用いて、日本企業における「和」を重視した仕事の進め方の存在が、先行研究で指摘されており、残念ながら、その「和」の重視が、経営成果に結びつくという主張はないようです。
戦略実行に関わる人が合意形成に関わるという「和」の姿勢が、社員の動機づけや多様な視点の尊重につながる一方、経営戦略なき「和」は、不確実性が高く、環境変化が大きくなるにつれ、戦略不全を起こす面もあるとのこと。

さらに、戦略実行のための「和」の重視が、いつしか目的化してしまい、過剰な「和」の重視が、内向きの調整努力を強いることとなり、ミドルが<重さ>を経験するようになるようです。

(2)経済合理性から離れた内向きの合意形成(競争や顧客より内向き)
組織は分業と協業の体系であり、異なるサブタスクを遂行する人の調整が必要になることから、組織内の分業化や部門化は、メンバーの対人志向性・時間志向性・木表紙構成の分化を生み、結果、調整・統合が難しくなることが指摘されているようです(Lawrence & Lorsch, 1968)。
本著の例では、研究開発部門は長期視点なのに対し、販売部門は相対的に短期視点の傾向がある、という違いがコンフリクトの種になると紹介されています。

こうした、組織の下位ユニット間の対立が過剰なレベルになり、自ユニットの利害に固執するようになる(←社会的アイデンティティ理論の内集団・外集団の話に相当)と、組織全体が顧客や競争相手へ注目する姿勢を弱め、内向きの合意形成にばかり注目し始めたり、個人のメンツの問題(もはや部門の利害を超えたもの)などが組織内の議論をゆがめたりするとのこと。

その結果として、ミドルが「利害調整」「政治的解決」といった、経済合理性からほど遠い、内向きの合意形成に過剰な労力を割かれるという<重さ>の存在も指摘されています。

(3)フリーライダー問題(社内評論家)
著者らは、上述した分野・部門間の利害に固執したり、個人のメンツを気にするのは、ヒマがあるから、と喝破しています。企業の業績が「集合財」、つまり皆の努力で測定されるので、1人が怠けてもみんなが努力することで業績が保たれてしまうようです。大企業であれば、長年の蓄積もあるため、他者の努力に便乗して怠ける「フリーライダー」が出現するとのことで、その典型が、何も行わずに社内の同僚を批判するだけの「社内評論家」や、「部下に仕事をすべて押し付ける上司(=責任や決断の不足)」と指摘しています。

上位層~ミドルのフリーライド行為や責任・決断の欠如が起こると、説得や周囲の調整のためにミドルが多くの労力を費やす必要が出てくる。そこにも、ミドルの感じる<重さ>があるとのこと。

(4)経営リテラシー不足
仮に、フリーライダーがいても、あるいは、過剰な「和」や内向きな合意形成が発生していても、その人材を管理する人物に経営リテラシーがあれば、適切な介入により、問題解決できる可能性があります。
言い換えると、上位層の経営リテラシーがないことで、上述の<重さ>問題が放置され続けてしまう、ということが説明されています。


なお、混同しそうな概念に「官僚制化」があります。官僚制は、階層的組織などにおいて、規則順守などの組織の硬直性を問題視するものですが、組織の<重さ>は、調整業務の多さや内向きの仕事に過剰な労力を割かれることに重きが置かれる概念です。

因子分析の結果、最終的にこの4つの項目は、
(1)と(2)を集約した「内向き調整志向」と、
(3)と(4)を集約した「組織弛緩性」
という2次元にまとまったようです。


組織の<重さ>は、どんな要素と相関があるのか?

ここまでの内容を見るにつれ、現在なお、組織の「あるある」だと感じる部分も多いところです。
この研究では、実際に、どのような要素と(主に)負の相関があるのか、という点を調査しています。組織が重いと、どんな不具合が生じるのか。以下に列記しました。

組織が重いことと、他の変数の相関は以下の通りです。(本調査には、日本の大企業19社、119のビジネスユニットが参加。以下のN数は107です。(利益率との相関については、N=98)

  • 売上高利益率と負の相関がある(-0.213*:そこまで高くない)

  • ミドル視点での、ミドルの達成感・成長機会と負の相関がある(-0.477**:中程度の相関)

  • フォロワー視点での、ミドルの達成感・成長機会と負の相関がある(-0.560**:中程度の相関)

こうした結果から、やはり組織の<重さ>は、ミドルに重くのしかかっていると想定されます。


感じたこと

書籍の第1章~第2章を中心に見てきましたが、20年前の組織の<重さ>プロジェクトの指摘する問題は、今なお組織課題として聞かれるものと整合する印象です。

もっと言えば、「管理職罰ゲーム問題」として、管理職にさまざまな役割が載せられていることが多く指摘されますが、この本を読むと、日本企業の組織特性・組織構造からして、そもそも罰ゲーム状態だったのでは?と思わされます

過去の偉大なる研究の肩に載ることで、今の日本企業の組織にまつわる問題や、その結果としての管理職の感じる<重さ>問題を、より解像度高く見られる気がします。組織に関する研究者にとって「必読書」だと感じました。












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