見出し画像

アジャイル、手段と目的の話

シンアジャイルの市谷さんが書かれた「アジャイルは手段ではないよ。」というnoteがあった。タイトルが答えにはなってはいるものの、そのnoteを読んでしまうと多分私の考えは強く影響を受けてしまうので、その前に自分の中の「アジャイル、手段と目的」に対する考えを書き残しておきたい。市谷さんのを読むのはその後ね。

アジャイルをどう理解しているか

手段と目的という意味では、いきなり市谷さんの言葉と反してしまうので不安だけれど、手段でもあり目的でもあると考えている。これがどういうことかというと、いわゆる "Don't just do Agile, be agile" というフレーズ通り、手段としての "Agile" と状態としての "agile" がある。このフレーズは色々なところで使われるのを見るが、私が使うときは意識的に大文字小文字を使い分けている。

大文字の "Agile" が表すのは手段、つまりプロセスやフレームワークやプラクティスとしてのアジャイルだ。大文字のAを使うのは、アジリティをもたらすためのさまざまな方法論がひとつアジャイルという文脈において固有名詞的な存在として使われているため、そうしている。

小文字の "agile" が表すのは状態、つまりアジャイルという英単語がもともと持っている「機敏な、明敏な、活発な」といった意味だ。こちらで小文字のaを使うのはまさしくそういう元々の "agile" という言葉が持つ意味を重要視しているためでもある。

手段と目的

手段が目的化してしまうとよく言われているのは、「スクラム」や「アジャイル」なプロセスを導入することが重要視されてしまっている状態を指すんじゃないかなと思っている。たとえばKPIにスクラムを実践しているチームが何チームあるか、認定スクラムマスターが何人いるか、アジャイル研修を何名が受けたか、のように。

スクラムをやっているから良いチームとなるわけではないし、認定スクラムマスターを持っているから良いスクラムマスターなわけでもないし、アジャイル研修を一度受けたからアジャイルを理解できアジャイルになれるわけでもない。そもそも良いスクラムチームや良いスクラムマスターとは何なのだろう?そこに想いを持ちながら手段としてのアジャイルを実践しているのかどうかが大事なんじゃなかろうか。

手段としてのアジャイルと状態としてのアジャイルがある話は先程したけど、私はこの状態としてのアジャイルは目的としても良いんじゃないかと最近思う。アジャイルな個人、アジャイルなチーム、アジャイルな組織、そこを目指してみる。この考え方に対して「それすらも最終的な価値を生み出すための手段じゃない?」と思うかもしれない。それも一理あるけど、鶏と卵な気もしているし、「価値」を意識するあまり誤った方向に行ってしまうこともあるんじゃないかと心配している。

たとえば顧客に価値を届けることが重要視された結果、チームが蔑ろにされてはならないし、"Don't be evil"みたいな言葉もあるように価値という言葉を正しく理解せず、いかに売上を上げるかみたいな不健全な働き方やサービスを提供することだって現実としてあると思う。アジャイルな手段をもってそんな状態が作り出されているのを見てしまったら、つらくて耐えられない。

目的としてのアジャイル

働き手やエンジニア数が少ないと騒がれる中で、今働いている人たちの力を最大限に発揮させるためにも、アジャイルな組織を目的にすることは決してオカシイ話ではない。たとえば、私のnoteでもたびたび取り上げているモダンアジャイルを体現できるチームがいるとしたら、価値はあとからついてくる。というよりも「継続的に価値を届ける」が原則の1つなので、正しく顧客に価値を届けられているかという点も目的の1つとして存在している。

https://modernagile.org/

それ以上に、私は今SIerにいるから特にそういう傾向が強いが、プロジェクトや顧客ごとに異なる領域の異なる目的を持っていることが多い。そうなると、たとえば1つのメインプロダクトを持って事業をすすめている企業とくらべてプロダクトベースのビジョンで仕事をしていくことはできない。それに、昨今のビジネススピード感から言えば、メインプロダクトを持っている企業もそれ一本でやっていくわけにはいかないので、多様な目標を掲げていたり新たなチャレンジをしていたりする。

もし、個人が、チームが、組織がたとえばモダンアジャイルの4原則を体現できているならどうか。さまざまなドメインに立ち向かおうとも、新たな事業を立ち上げようとも、ブレずにチームや顧客を最高に輝かせるために価値を届け続けるための方法を探すことができる。どんな状況に置かれても「価値」を探索し再定義しながら進んでいける。アジャイルにあることはどのような状況下でも変化を受け入れ適応しながら「価値」を届け続けるために尽力していけるということだといえる。

手段ではなく、そういった状態としてのアジャイルを目的にしてみることは、実は価値を目的にするよりも多くの可能性を秘めているのかもしれない。

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは書籍やテック・アジャイル関連のイベント参加などに使い、レビューの公開をお約束します。