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真面目な人が損をする世の中の仕組みについて

 朝の通勤ラッシュの時間帯に駅員たちが慌ただしく清掃作業にあたっていた。どうやら利用客が嘔吐をしてしまったようだ。しかも、エスカレーターで。片側のエスカレーターが止められ、4人もの駅員が無表情で作業を続けていた。

 この時間に4人もの駅員がやらなくていい仕事をやっている状況を見ると、なんだかなあと思ってしまう。本当はホームに出て、電車の安全な運行をサポートするべき時間なのだろう。嘔吐してしまった乗客のことがわからないので(一見酔っ払いと考えがちだが、本当に体調不良だったかもしれないし、申し訳ないながらも今も事務室で安静にしているかもしれないため)、状況を知らずに責めることはしないが、世の中には不条理なことが山のようにあるなあと考えてしまう。

 実際、電車が好きで鉄道会社に就職しても、朝は満員電車に乗客を押し込んだり、夜は酔っ払いや吐瀉物の清掃をしたり、事故があればイラつく乗客の対応に終われるなどしているうちに、完全に夢を失ってしまった駅員もいると聞く。

 もちろん、不測の事態があった際に、咄嗟の判断のもとで適切な行動ができるかどうか。これはどんな現場でも非常に重要な指標だろう。ただ、不測の事態にもいろいろあて、単純にやらなくていいはずの作業をやる羽目になることも往々にしてある。先の例だと、酔っ払いの吐瀉物を片付けることなどだ。

 こうした時、もちろん駅員は嫌でも処理をしなければいけない。これも嫌な話ではあるが、何より解せないのは、こういった状況で最終的に損をするのが、物言わぬその他の一般客だということだ。駅員が対応にあたるために必然的に他の乗客への対応はおろそかになる。何か聞きたくても聞けない人が出てくるわけである。誰かの行為によって、その他大多数の人に無言の迷惑がかかってしまうこと、これが非常に納得がいかない。

 以前、あるIT起業家にインタビューした際に、「うちではクレーマーの対応はしないことにしている。クレーマー対応に時間が取られると、ちゃんとした顧客への対応時間が減ってしまう。それを従業員で補おうとすれば、必然と経費がかさみ、利用料という形で全利用者への負担金が増えるという悪循環が増えてしまうからだ」という話を聞いた。彼はそうした事態を避けるために「消費者の教育こそ企業のやることだ」と考える。なるほどと思った。

 真面目な人が損をするという社会構造は簡単には変えられるものではないが、そのために「損をしないために少しでもずる賢く生きよう」というのはなんだか嫌だなあと思う。みんなが心地よく生きていける社会を作るためには、誰もがこうした事態を自分事化して、消費者の教育をしてくれればいいのになと思う次第である。

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