「日常という物語」の存在を意識する
記事の最初に、明記しておかなければならないことを書いておきますね。今日の記事は、参院選の二日前に起きた、日本国民のほぼ全員が知っている襲撃事件に触れつつ書いておりますが、筆者はこれに関して政治的な主張を述べるつもりはなく、また法的あるいは倫理的な是非を問いたいわけでもありません。それは僕の手に余ります。この記事で書きたいことは、大きな事件が起こったときに我々が受ける「動揺」や「不安」の根幹がなんであるのかという考察になります。このような時節だからこそ、分断を煽り対立を助長する