世界史から知る戦争の意味
世界史は戦争の悲惨さを学ぶ科目だった
僕は勉強が出来ないウンコ野郎でしたが、相対評価という意味では世界史が得意でした。
世界史のほとんどは戦争の話です。人が斬られるのに血が出てこない、ライトノベルのファンタジーみたいな存在です。人が大勢死んでる事実をさもドラマのように語る先生がヘンテコだなぁといつも感じてました。
世界史を学ぶと、いかに人類がアホで馬鹿で狂ってるかがよくわかります。戦争の話は少なくとも青銅器、鉄器時代から始まっている話なので、それこそ何千年、何万年と繰り返してきた人類の愚かさを知ることができます。
よく世界史を教えていた先生は言っていました。
「こうした失敗を学べば、現代で二度と間違いを起こさない」と。
また、旧西ドイツ元大統領ヴァイツゼッカーもこう言っています。
「過去に目を閉ざす者は現在も盲目となる」
つまり、世界史を学ぶことで僕らは二度と過去の失敗を繰り返さないようになるという目的があります。
しかし、現実を見てください。僕らは過去をどんなに学んでも、ロシアとウクライナの戦争は止められることができませんでした。
この戦争は世界史を学ぶ意味を全て否定された気持ちになって、僕はとても悲しく、空しく感じます。
歴史を学ぶ意味が否定されたのか?
少なくとも近現代の歴史は事実が体系化されています。好き嫌いはともかくとして、多くの人が学校で歴史を学び、誰もが戦争に反対します。
自衛隊や憲法9条の存在を認める云々はちょっとおいといて、戦争を認める人はこの日本ではほとんどいないでしょう。別にこれは日本だけでなく、世界的にも教育の現場では当たり前のように行われている行為です(北朝鮮とか一部の専制主義国家はアレですが)
しかしながら、ウクライナとロシアの戦争を見るに僕ら人類は再び間違いを犯しました。大国が他国に侵入し、多くの人を殺している。この現実は世界史を学ぶそのものの意義を真っ向から否定したものです。
ウクライナの人も、ロシアの人も、世界史は学んでいます。戦争は忌むべきものだと多くの人が知っている。それでも始めました。確かに戦争を起こしたプーチン大統領は愚かな人ですが、残念ながら戦争は一人で決められるものではありません。同じく歴史を知る側近、そして国のある程度の勢力が同意して初めて実行できるものです。
つまり、歴史を学んでいた人たちが、それでもなお戦争を始めてしまった。
何のために世界史を学ぶのでしょうか。まるで世界史は「人類はこんなに馬鹿なのでまたやります」なんていう自分たちの赤っ恥を晒すだけのツールだったのでしょうか。
相互理解の難しさ
よく言われることの一つとして、「なぜ国境が存在するのか」という論題があります。僕はこの回答で一番しっくりきた解答が「仲が悪い相手と線を引いたところが国境だ」というアンサー。
もちろんアフリカのような欧州列強によって一方的な線を引かれたところもあります。人種や宗教で国が別れたという考えもあるにはあるものの、むしろ単一民族・単一宗教の国自体が少ないなかであんまりその思考には信ぴょう性を感じません。あとは中国のようにあらゆる地域を武力で押さえつけて自国に取り込んでしまう新疆のパターンもあります。
一部の例外はとりあえずおいとくとして、つまるところ仲が悪いから話し合いにならず国を分けたという話。となると思うのは「最初から相互理解を放棄したから別れたわけで、お互いが仲良くなることには限界がある」ということです。
もちろん、これ以外に経済的な結びつきが合ったりしますから、国同士の付き合いなんてものは表面上では握手しながら裏では殴り合いの喧嘩が当たり前の世界です。
いわば「大人の関係」で付き合う国と国の結びつき。ちょっと考えるとなかなか危うくてあやふやなお付き合いですよね。
でも僕らが日常付きあってる世界だってそんなもんです。同じ日本人でほぼ同じような教育を受けてる間柄でも仲が悪くて喧嘩したりします。結婚もすりゃ離婚だってします。
これが外国の、国境を違えた相手ならばもっと難しい。歴史的な因縁や宗教の違いなど深淵な闇が関係にさらなる複雑性を及ぼします。
前提として仲良くなんてなり切れないのが国と国の間柄なんだろうと感じずにはいられません。
「戦争反対」は戦争を防げなかった
まず前提として「戦争は絶対的な悪である」という点。
これを念頭に、僕は「戦争反対」という言葉だけでは世界の平和は語れないという事実を改めてこのウクライナ紛争で感じることになりました。
我々は教育の中で「戦争反対」を深く叩き込まれます。でも考えてみてください。
何千年の歴史を学んでこんなに戦争はいけないことだと分かっているのに、なぜ今現在も戦争がなくならないのかと。
人が死ぬからNG?誰かが悲しむから戦争はいけない?じゃあ、なぜ戦争は無くならないのでしょうか。
ようは我々は教育的に戦争反対と叫ぶことこそが目的化されていたのではないかと思うのです。過去戦争が起きた背景やそれに至る経緯などを知らずして、とにかく「戦争反対」を唱えることは、まさに「いじめ反対」と叫ぶに近しい関係にあります。
日本は太平洋戦争の敗戦国となった経緯もあるのか、戦争を語ることがある種のタブー化されているように感じます。自衛隊についても然り。昨今ようやく憲法改正の流れが出ている中で遅々として進まなかった議論が戦後80年たってようやく始まったレベルです。
改めて述べたい。我々は戦争を知ることが間違っているのでしょうか。小学生に「戦争反対」だけを植え付けた、かつての僕の先生は本当に正しいことを伝えたのでしょうか。
やはり世界史をもっと学ぶべきなんだと思う
世界史はとかく暗記科目として捉えがちなので嫌われ者です。
しかし世界史を学ぶ目的がもし歴史を知ることでの過ちを再び起こさないということであるならば、もっと世界史を深く学べる環境を整えてほしいと思います。
何故国と国は分かれたのか。なぜ人は命を落とすと分かっていても立ち上がったのか。なぜ国は隣国を攻め、滅ぼしてしまったのか。
これらを深く知ることで戦争を起こす起こさないという最終段階の前に、そもそも火種を起こさないような思考を生み出すべきではないでしょうか。
日本だって周辺国の動静を見てみれば他人事ではありません。日本と関係が近しい台湾は中国に侵略されてもおかしくない立ち位置です。もしウクライナに攻め込んだロシアのように中国が同じことをしたらどうなるか。
自らの生活を一変させてしまうことが、今発生していることを自覚するためにも今回の戦争はとても衝撃的な事件だということをまず知っておきたい。
テレビゲームでは語ることができない、血と欲望の現実を知ることで我々の自制心を養っていく。これこそが一番重要だと僕は思っています。
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