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教師の働きぶりを「評価」できるのか 〜リンダ・ダーリング-ハモンド『教師に正しい評価を』

リンダ・ダーリング-ハモンド著、無藤隆監訳『教師に正しい評価を』新曜社、2024年

ダーリング-ハモンドの著作は、これまで、『パワフル・ラーニング』『よい教師をすべての教室へ』を読んできた。『パワフル・ラーニング』は翻訳本が出る前に何かで知って原著で読んだ。とても面白くて一気に読んだ(ダーリング-ハモンドの英語は読みやすい)。
そのダーリング-ハモンドが、教師が力量を伸ばし学校のなかで力を発揮していくには、教師に対するどんな評価システムが必要かを述べた本。

さすがはダーリング-ハモンド、各種研究成果をコンパクトかつわかりやすくまとめているし、そこから導き出す提言も示唆に富む。
特に、「訳者あとがき」でも無藤隆氏が指摘されているように、ダーリング-ハモンドが、数値的指標と雇用・給与とを安易に連動させるような教師評価システムに警鐘を鳴らしている点は重要だ。

直接的に生徒のテスト得点に基づいて教師を評価し報酬を決めようとする努力は、意図しない機能不全の結果を生み出すことがある。

p.90

とか、あるいは、教育研究上の一定の有効性は認められている「付加価値法」(どれだけ成績を上げたかを見る)を、個々の教師に適用することの限界の指摘(p.112)とか。

そして、では教師評価において生徒の学習の実態を活用する際には何が必要かに関して、ダーリング-ハモンドは、

「単一のテストや付加価値の得点ではなく、生徒の学習についての複数の尺度を使用する必要がある」(p.130)
「学習の尺度は、教師が教えることを期待されているカリキュラムと、発達することが期待されているスキルや能力の範囲を反映する必要がある」(p.131)
「すべての生徒に対して、妥当な尺度が使用されるべきである」(p.131)

などの指針を示している。
これらは、たしかにその通りなのだろう。
さらには、教師評価システムにおいて必要なのはもちろんこうした生徒の学習実態だけではなく、真っ当な専門職基準やら、評価者の専門性やら、力量形成のサポート体制やらの必要性も示していて、その指摘ももちろん重要だ。
実際、日本でも6年ほど前だったか、自治体の首長が「学力向上のために、学力テストの結果を教員給与に反映させよう!」みたいなあまりに安直な施策を唱えていたわけで、「いやそれじゃダメなんです」ということを説得的に示しその対案を描くダーリング-ハモンドの議論は大事だと思う。

が、しかし。
私自身はどうしてもこの種の議論に乗り切れない部分がある。
おそらくそれは、根底のところで、「うーん、教師の専門性をきちんと評価するなんて無理なんじゃない?」という思いが自分にあるからだろうと思う。評価そのものの不可能性。
ダーリング-ハモンドが打ち出す指針はたしかに大事なのだが、そうやってさまざまな要素を盛り込み、整えることがどれだけ実現可能なものなのか、私には確信が持てない。また、仮にそれをなしえたとしても、それが完璧な評価システムという幻想を招いてしまっては、かえって危険なように思う(別にダーリング-ハモンドがそう言っているわけではない)。
そして何より、現実的には、ダーリング-ハモンドが打ち出す指針を十分満たせない評価システムが横行する恐れが大きい。専門性をもった評価者を育てるだけでも大変だ(校長だけに評価を負わせない趣旨は理解できるのだが)。評価システムを整備するために、ただでさえ足りない教育界の人手を取られる危険性。

その点、ダーリング-ハモンドが、第1章で、

フィンランドでは、公式的な現職評価にはあまり力点を置かず、生徒の学習を促進するための専門家同士の協働を強調しています。

p.10

とサラッと書いている部分は気になる。
現職評価のシステムを人為的に整えなくても、教師が専門性を伸ばして力を発揮していけるようなあり方の可能性。
いや、日本だって、かつて教師らが今よりはるかに民間研に出入りして自分たちで専門性を高め合っていたとき、公的な教師評価システムに依拠していたわけではない。

もっとも、ダーリング-ハモンドは、先の引用部に続けて。

実のところ、私たちはフィンランドと同じやり方で進むことはできません。

p.10

と述べている。教師評価システムに頼らないあり方は、もうすでに安直な評価システムが導入されてしまっている国には、もはや夢物語なのだろうか。

…と、私の場合、どうしても、「評価」というものを信じきれない部分がある(教育評価論をガンガンやっていた研究室の出身ではあるんですけどね)。私自身の関心はむしろ、何はともあれ、学校に集まった先生たちでどのようにして協働してよりよい実践を生み出していくか、そのための方策のほうにある。
あと、大学教員の立場で同じような仕組みが導入されたら私はどう感じるだろう…というのも考えてしまうしな(まあ、大学教員の場合も、ここで批判されているのと同じような安直評価システムはすでに入ってきているんですけどね)。

もっとも、そうした私の立場には弱点というか急所があって、それはやはり、明らかに不適格な教員をどのように排除するか、そもそも何が「不適格」でそれをどんな手続きで認定できるのか、というあたり。この問題は学校教育制度の運用上避けては通れないのだが、これに回答できるだけの用意は私にはない。ダーリング-ハモンドの提案はこうした部分をカバーできる。しかも、専門性伸長の方と一貫させる形で。

あと、たしかに、ダーリング-ハモンドが提案するような評価システムによって、教師が何に向けてがんばればよいかを自然に示しておけるのも、大事だと思う。というのも、根本的にそこがズレているように思われる教師や教師候補者、例えば、「最初にいかに生徒をシメて言うこと聞かせられるようにできるかが大事なんすよ」みたいに公言しちゃうような教師はたしかにいるからだ。それに対して、評価システムによって明示的に、目指すべき専門性のあり方を示しておけるのは大事だろう。

とまあ、私はこの問題に関しては、煮え切らない態度になる。
自分としては乗れないけれど、けれども、ろくでもない教師評価システムが(主に教育界以外の人たちによって…いや、教育界自らの場合もあるか)すでに導入されている現状においては、やはりダーリング-ハモンドの提案は大事な気もする…といったところ。

いずれにせよ、思考を進めるために、読んでおいた方がよい本ですよ。教育行政の人は特に(本当なら政治家にも!)。

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