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授業検討会における共感の「あーっ」

先日呼んでいただいた小学校での研究授業の検討会にて。
検討会の中盤、授業者の先生が、

「子どもたちがあれほど表現力豊かに音読したのが意外だった」
「役割読みのときにあんなにたくさん子どもたちの手が挙がったのが意外だった」

と話されたとき、他の先生方から「あーっ」と声があがった。
「そうか、あのとき先生はそう思っていたのか」という「あーっ」であると同時に、「あぁ、そういうことだったのか」という「あーっ」だ。
発見かつ共感の嘆息。

思うに、こんなふうに参加者(授業者含めて)間で共感の瞬間が生じない限り、検討会でいくらそれっぽい言葉(「○○したほうがよいのかなと思いました」とか「○○というやり方もあるかと思いました」とか)が飛び交ったとしても、それは、ほとんど意味をなさないのだろう。それぞれの頭の上を通り過ぎていくだけだ。

にもかかわらず、ほとんどの検討会においては、参加者は、それっぽい言葉をいかに発するかに腐心はするが、いかに共感の瞬間を生み出すかはまず意識されない。実際、この日の検討会においても、序盤は、「まとまっていなくて感想ですが」などの前置きと共に、評価や助言めいた発言が多発していた。流れが変わったのは、(私の見立てでは)この「あーっ」以降だ。

では、共感につながるような発言とはどういうものか。
それは典型的には、今回の例にも示されているように、具体的な場面に言及しつつ、feelの部分、つまり、「知っていること」「考えたこと」ではなく「感じたこと」を話すものだ。
シンプルな原理なのに、見過ごされている部分だ。

先生方の話を聞きながら私が筆記していたボード
これを使って、途中から、授業者のfeelやthinkを引き出すことを試みた

参考① 評価・助言型からの転換を試みる対話型検討会についてはこちら(↓)。

参考② リフレクションに関する渡辺の連載はこちら(↓)。


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