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「質的研究!? ちゃんと教則本買って手法マスターしなきゃ」という人へ 〜楠見友輔『アンラーニング質的研究』〜

現在は信州大学講師、「ニューマテリアリズム」の視点からの教育研究など、刺激的な論考を多数出されてきた若手研究者・楠見友輔さんの著作。

楠見友輔『アンラーニング質的研究 表象の危機と生成変化』新曜社、2024年

面白かったし、いやあ、すごい。
この内容をこの平易さで書くとは。しかも、これだけ膨大な文献(かなりは洋文献)を押さえながら。

本書、2章で伝統的な質的研究について説明される。「フィールドワーク」やら「データ収集」やら。
そして8章で、そこから逸脱していく動きとして、「参加型アクションリサーチ」「オートエスノグラフィ」「アーツベースリサーチ」の3つが取りあげられる。
単に、いろいろな質的研究のアプローチの紹介を目的とする本だったら、2章からいきなり8章に飛んでもよいはずだ。

なぜ本書ではそうならないのか。
それは、あいだの3章から7章で、なぜそのように質的研究が変化を遂げていく必然性・必要性があるのかを、質的研究の内側からも外側からも述べているから。
それは具体的には、「表象の危機」、「監査文化への抵抗」、「サバルタン」と「上に向けての研究」といった内容ということになる。
その論述は圧巻だ。
今まで名前だけで表面的な理解しかできていなかった概念が、整理され、スッと頭の中に入ってきた(まあ、私が勉強不足だったといえばそれまでなのだが)。
これが、まだ(たしか)30代前半の研究者によって書かれるという事実に打ちのめされる気分。しかも、哲学や方法論の専門というわけではなく、実際に学校に入ってフィールド研究している方なのだ。

広範囲への目配りと整理された平易な記述という意味で、教科書的
が、一方で、主張ははっきりしており、ラディカル
この両者が同居しているのが本書のすごいところだ。

もっとも、そうはいっても、私の場合、思想的にも実践的にも、本書の内容(楠見さんの考え)にはもともと親和性が高い。
私が従来の「研究」(職業的研究者によって行われるものも、実践者によって行われるものも)に対して抱いてきた問題意識や、自分が取り組んできたことと、かなり重なる(少なくとも9章までは)。一応、アートベース本の翻訳にも多少かかわるなどしてきた身なので。
一方、それとは違う立場の人、つまり、ゴリゴリの実証主義者は本書をどう読むのだろうか。いやむしろ、ゴリゴリの(=自分でもそうと自覚している)実証主義者以上に、特に意識することもなく「研究」とはそういうものだと思っている無自覚的な実証主義者が本書と出会ってどう反応するのか、知りたいところ。

本書を手がかりにさらに考えたいことはいろいろ。
本書における整理のおかげで、現職院生らが実践研究に取り組む際にありがちなある種のパターンに対して、私がこれまでに抱いてきた違和感が、よく理解できた。
ある種のパターンとは、現職院生が自身の実践をもとに研究を進める際に、「量的研究では扱えない。質的研究だ!」となって、M-GTAなどに飛び付く現象。あぁこれは、本質的には「表象の危機」以降になるはずなのに(教室の現実は研究を行う実践者自身によってもつくりだされているわけなので)、「ポスト実証主義」的な質的研究の方法論(めちゃくちゃざっくり言ってしまえば、量的研究みたいな質的研究)を無自覚に信じ込んでしまっているということなんだろうなあと納得がいった(M-GTAを研究で用いること自体を否定するものではありません、念のため)。

一方で、では実践者が行う実践研究に対して、どんな方法論的自覚を求められるのだろうか。実践研究を行う人もみな、こうした質的研究の方法論をめぐる一連の経緯をふまえるべし、ドゥルーズやガタリをくぐれ、というのは現実的ではない。しかし、だからといって、「なんでも好きにやったらいいよ」も違うだろう(そう言われてもかえって途方に暮れるだろう)
そのあたりは、今私が、学会の課題研究で学校教育/教師教育分野における「実践研究」のことを扱っている(日本教師教育学会の課題研究Ⅰ)というのもあって、さらに考えてみたいところ。

本書、注が充実しているのも特徴。
注に付箋を貼った箇所まである(p.230の「ポストモダニズム」と「ポスト実証主義」の関係)。
あと、図示が見事。「これ分かりやすいなあ~」というもの、多数。「図2:モダニズムとポストモダニズムの溝」(p.51)、人物のコミカルさも含め、特に好き。あと、「相互行為」と「内-作用」の違いを図解した「図6」(p.166)もとても分かりやすかった。

充実した図! 表紙含め、フリーのデザイナーをしている妹さんの手によるものだとか

「研究」というものに関心がある万人におすすめ。
特に、アクターネットワーク理論&アートベース・リサーチ界隈のみなさま、必読文献だと思います。是非!

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