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映画「夢みる小学校」の描き方

オオタヴィン監督の映画「夢みる小学校」。
今月初めに封切りになったのだが、結局、2回観に行った。また、院生らと「映画を観て語る会」も催した。

この映画は、教育界では有名なきのくに子どもの村学園の姉妹校の一つ、南アルプス子どもの村小中学校を中心的に取りあげて、そこでの生活と学習の様子を描いたドキュメンタリーだ。きのくには、ニールの思想の影響を受けた堀真一郎氏が設立した学校で、プロジェクト学習を中心とした経験主義のカリキュラムで運営されている。

1回目、封切り初日に映画を観に行ったとき。
正直なところ、最初、身構えて観ていた。
こうした映画では、「こんな素晴らしい学校がある!」と啓蒙的な要素が強くなりすぎたり、実践を陳腐な言葉で説明するものになったりすることが多々あるからだ。

けれども、1回目の印象を一言で言うならば、サラッと観れてしまった、だ。
私はきのくにに(和歌山のほうで、しかもだいぶ昔の話だが)見学に行ったことがあるし、過去にテレビなどで取りあげられた際の映像も見てきたし、本も読んできた。また、映画のなかで出てくる伊那小や桜丘中についても訪れたことがある。だから中身としてはおおよそのことは知っている。実際、最初はつい「あまり新しい発見がないなあ」と思いながら見ていた。けれども一方で、嫌な感じがすることもなく、見終えたときにはむしろ爽やかな印象で、自分が「知っていること」と照らし合わせるような見方をしてしまっていたことを反省したくらいだった。

不思議な感覚だった。
これはなぜなんだろう?

会場で売っていた映画のパンフレットやオオタヴィン監督の書籍(『子どもはミライだ!』)を購入し、それを読んで、もう一度観に行った。
そして、この映画がよくあるドキュメンタリーと比べて何が特徴的か、2点、考えをまとめるに至った。

今これを読まれている方には、これから映画を観に行くという人もいるだろう。
だから、詳細な内容に踏みこまない形で、以下にその2点を書いておく。
もちろん、まったく予断をもたずに観に行きたいという方は、このままこのページは閉じて、観終えてから続きを読んでほしい。

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1つめの特徴。
それは、この映画では、「ドラマ」を一切描かないということ。
こうしたドキュメンタリーでは、しばしば、子どもの成長、関係の変化などをドラマチックに描き出す。子ども同士(あるいは子どもと先生が)対立して、その後ある出来事の経験を通してそれが変化したりとか、何度挑戦してもできなかったことが、あるきっかけをもとにできるようになったりとか、そういうものだ。こうした「ドラマ」は、たしかに感動的だし、人を惹きつけやすい。けれどもそれは、都合がよい部分を切り取って出来事を過剰にドラマチックに仕立て上げてしまう危険性と隣り合わせだ。(教師や研究者が実践を描く際にもしばしば起こることだが)当人たちからするとありがた迷惑な意味付けで余計なお世話、ということも起こりかねない。
一方、この映画では、そうした描き方をしない。淡々と、スケッチブックの一ページ一ページのように、学校での一場面を描き出す。もちろん、背後に「ドラマ」を想像させる場面もあるが、それを直接的に(映画作成者が)まとめて示したりはしない。

なお、それでは何を描いているかというと、映画前半に特に見られるのは、子どもと大人との関係だ。きのくにでは大人は「教師」と呼ばれず、ナレーションではその位置付けを「アドバイザー」と表現しているのだが、「アドバイザー」という言葉だけでは表せない距離感を、見事に映像で映し出している。

2つめの特徴。
それは、学校から遠い人ほどきのくにの素晴らしさを語る口調が声高で、学校の内側にいる人ほど抑制的で自然体だということ。
この映画には、きのくにの先生方、他の公立学校の先生方に加えて、きのくにに何らかのゆかり(我が子を通わせていたり卒業生を大学で教えてきたり)がある人、さらに、外からきのくにを眺めてそれぞれの立場(脳科学者や教育評論家)から論評する人も登場する。
そして、外にいる人ほど声高に素晴らしさを説く(それはそれで間違っていないと思うし、興味深い指摘もあるのだが)のに対して、例えば、我が子を通わせている作家は、きのくにで惹きつけられた側面について語ると同時に「まあいろいろありますよ」とも率直に言うし、内部にいる先生方はさらに穏やかに、自分たちが行っていること、そこで感じていることを語る。
これらが逆に、きのくにや伊那小の実践がもつ文化の豊かさや複雑さを映し出すし、さらには、周りが騒ごうが騒ぐまいが、淡々と誠実な実践を続けてきている学校や先生が他にも多く存在するであろうことを示唆する。

これらの2点、オオタヴィン監督がどれだけ意図的に行ったのかは分からない。
上映後のトークイベントでスタジオ4℃代表の田中栄子氏と話されたときに、最初はもうちょっと「上から素晴らしさを説く」ふうだったのが、田中栄子氏からのアドバイスを経て作り変えた、という話も出てきたので、監督自身、作成の過程で変化していったのかもしれない。
教育ドキュメンタリー映画の新たな可能性ということでは、昨年観に行った「14歳の栞」(監督:竹林亮、企画:栗林和明)に強烈な衝撃を受けたが、それとはまた違った形で、この「夢みる小学校」もよい映画だなあと思う。

なお、私はこの映画の締めくくりも好きだ。
卒業式シーンで泣かせる教育ドキュメンタリーは多い(たしかに感動的で私も泣いてしまうのだが、心の中で「いやでも卒業式はどこの学校でも感動してしまうもんだし」ともツッコんでしまう)し、この映画でも卒業式シーンは一つのクライマックスなのだが、その後も少し続いて、最後の最後は、ある言葉がポンッと(文字通り)出てくるところで終わる。それが、もともとのその言葉の宛先人だけでなく、映画を観ている私たちへのメッセージにもなっているようで、私はこの終わり方がとても好きだ

この後上映が東京から全国に広がる予定。機会があるときに是非ご覧のほどを。

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