ミシマ社とイリイチ 〜三島邦弘『ここだけのごあいさつ』
小規模ながら独特な存在感を放つ出版社、ミシマ社。「一冊入魂の本作り」を掲げ、「サポーター制度」による出版活動支援など、独自のシステムを持っている。私は、松村圭一郎さんや藤原辰史さんの本をここで読んだ。
このミシマ社の社長の三島邦弘さんが、コロナ禍前後をまたぐ形で書き連ねていた、自身の出版社経営のうえでの考えを再構成し、一つの本にまとめたのがコチラ。
三島邦弘『ここだけのごあいさつ』ミシマ社、2023年
前半は、本づくりに関するもろもろが示唆的。
後半は、出版に限らず、拡大やら効率やら競争の論理に飲み込まれることなく、小さな組織を、自分たちのテンポで運営していく際のあり方について書いていく。
本書の全体的な紹介は、「にじまろ」さんの下記の示唆的なレビューを参考にしてもらうことにして(そもそも私はこの由佳さんのレビューで本書を知った)、ここでは、本書を読みながら私の頭に浮かんだことを。
この夏、イヴァン・イリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』(渡辺京二、渡辺梨佐訳、ちくま学芸文庫、2015年)を、ちょびちょび読んでいる。「脱学校論」などで有名なイリイチ。院生時代にハマっていろいろ読んだ。
テクノロジーであれ制度であれ、それが生み出されてある程度の段階までは、人間の役に立つ。けれども、その段階を超えてしまうと、逆にそれは人間を縛るもの、不自由にするものになる。この、役に立つようになる転換点を「第一の分水嶺」、逆に人間を拘束するようになる転換点を「第二の分水嶺」と、イリイチは呼んでいる。
もちろん、イリイチが提唱するのは、この「第二の分水嶺」を超えない、社会のあり方・「道具」のあり方。イリイチはそれを「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」という言葉で表現している。
三島氏の『ここだけのごあいさつ』を読みながら、私にはこのイリイチの議論が重なって捉えられた。
先ほどの、「大企業で通用する論理や手法」が大手を振って、小規模のもの、ローカルなものを駆逐していくことへの危惧もそう。
あるいは、以下の記述など、もろにイリイチ。
健康に対する「医療」という名のもとでの囲い込み、学ぶことに対する「教育」という名のもとでの囲い込み。イリイチが、専門家による「根元的独占」として、あるいは「価値の制度化」として、警鐘を鳴らしてきたこと。
もちろん、現代の日本に生きる三島氏は、今の社会に対する痛烈な風刺を行うことにもなる。例えば、「地球環境とのつきあい方」に関する、以下の記述。
「ジェット・エンジン」「自転車操業」を比喩的に用いて、自身のミシマ社のポリシーを「自転車操業」という言葉で表す。
もっとも、それもいわば暫定的な答えであり、本書には、三島氏の揺れ動く思考の軌跡、模索の経緯が記されている。自身が、自然農法、無農薬、旬のものを大事にしながら、一方では、コンビニの食品やファーストフードもたまに利用すること、そうした「二つの現実」(p.215)を認めていることも、原理主義的な先鋭化を避けるために、大事なことだろう。
そんなこんなで、『ここだけのごあいさつ』、ミシマ社に興味がある人にも、イリイチ的な発想に親しみを覚える人にも、オススメ。
イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』のほうも、刺激的な記述が多数登場するのだが、それについてはまた別の機会に書くことにしよう。
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