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震災から12年。就任14週。

震災当時、私は仙台の会社に所属はしていた。しかし、その前の年の秋から体調を崩し、しばらく東京の実家で療養中だった。

ようやく4月から復職できることが決まり、上司からの詳細連絡を待っていた。その日、本部役員会を経て、配属先が決まる予定だった。そして、ちょうど今この文章を書いている同じ部屋にいたとき、震災がおこった。

ゴゴゴゴッ


14時すぎ、連絡が来ないことにヤキモキしていたら、部屋がめちゃくちゃに揺れ、本棚から本が飛び出した。

これはやばい、ということだけがわかって、テレビをつけた。

学生時代から数えると、宮城県仙台市に14年ほど住んでおり、会社に入ってからの10年は、東北6県を担当していたので、岩手宮城福島にも、たくさんのお客様や支店長・支店担当者がいた。

テレビの画面では、知っている景色ばかりが映し出され、次々と津波にのみこまれていった。自宅療養中で何もできないのが苦しくて、知り合いに連絡しようと思ったが、通信ができない。電波がない中で不要不急の連絡はかえって迷惑だと思い直して、ただただテレビにかじりついていた。

結局、その日、配属先に関する連絡はなかった。もちろん、それどころではないことは理解できていた。4月1日から復職できるのかの不安がないといえば嘘になるが、比較にならない状況に混乱し、その日は一睡もできなかった。

数日かけて、徐々に友人や同僚の無事がわかり、少しほっとしてはいた。しかし、それとは裏腹に、被害状況が伝わるにつれ甚大で、かつ福島の原発が日に日に大変な事態になっていった。


あれから、もう12年になる。

当時のことは鮮明に覚えていると思っていたが、いざ文章にしてみると、ところどころ思い出せない。12年という期間の長さと早さを痛感する。


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今週は「生きる」ということを考える1週間だった。



■右足の手術

昨年から子どもたちがバスケを習い始め、サポーターコーチをすることになったのだが、練習後になると、右足が痛む。最後には、右足を引きずるようになり、近くの整形外科へ。医師から「骨がひび割れしているが、このままではくっつかない。選択肢は、手術するか、対処療法かの2択」と診断。

精密検査のため大学病院に行き、足の専門医に診察を受けると「大掛かりな手術ではない」と、手術を勧められた。子どもたちと思いきりバスケをしたいという気持ちがあったので手術をすることに決めた。しかし、そこは忙しい大学病院。手術予約が取れたのは、精密検査から10ヶ月後だった。

3月5日に入院し、翌日の朝から手術と決まった。

ちなみに、どうしても行きたかった、靴磨きトラベラー・佐原総将くんの靴磨き世界一周・アジア報告会(@空中階)が、入院前日の3月4日だったのは奇跡だった。ちなみに、佐原くんを僕に紹介してくださった空中階管理人・センジュ出版代表の吉満明子さんに「鞄持ちをさせてほしい」と願い出たのが、ちょうど1年前の2022年3月4日だった。


緊張で一睡もできず6日朝を迎えたが、右足の膝下へ部分麻酔をしてから、手術室へ。時代は変わり、患者がリラックスして臨めるように、スマホもイヤホンも持ち込める。

ドクターから「音楽どうぞ」と言われ、イヤフォンをかけて、お気に入りのandymoriを流した。麻酔で感覚がなくなった足だが、何かをされている感触(時々、ドンドンと叩いている笑)だけは伝わってきた。かなりの寝不足だったので、途中で30分ほど眠ってしまい、起きたらほとんど終わっていた。すぐにトイレに行きたくなり、先生には最後の仕上げを急がせてしまった。

病室に戻る。男性4人部屋だった。大学病院なので、私のような軽症者は少なく、手厚い看護や強い薬での管理が必要な患者さんが多い。

医師「〇〇さん、痛みの程度は10段階でいくつぐらいですか?」
〇〇さん「めちゃくちゃ痛いです。10と言いたいところですが、会話ができているので、8から9でしょうか・・・」
医師「そうですか、これだけの薬を使っているんですけどね。もう少し臨時薬も使ってみましょうか」
〇〇さん「痛みを減らす可能性があるなら、何でもやってください。ちょっと、もう先が見えなくて、落ち着いて考える余力もなくて・・・」

ピリピリ、キリキリと痛む術後の足を抱えながらも、同部屋の方々のあまりの状況に、私くらいの痛みを訴えていいものかと悩まされた。私の足は、氷で冷やしてごまかせばなんとかなったが、他の方々は、紛れもない死、いや生死の境を前に苦闘していらっしゃった。

こんなのは軽症だ。

骨を一部削った後、パンパンな右足


■ご縁の深い仕入先専務の急逝

コロナ前、2019年の今頃、愛媛県今治市にあるタオル工場・染色工場・プリント工場の視察研修にいった。研修の全てをコーディネートしていただき、夜の会食もご一緒した仕入先の専務が先日急逝された。

この会社には、50年ほど前、弊社会長(私の父)がタオル屋に入社した頃、数週間住み込みでタオルの勉強をさせて頂いた仕入先である。数ある今治のタオル屋さんの中でも、当社との関係は最も深い。

専務は、年に2〜3度当社に足を運んでいただき、いつも父と1時間ほど話をするのが常だった。穏やかな語り口だが、タオルへの愛情と知識は半端なかった。はにかんだ笑顔が、とても印象的な方だった。手土産はいつも、今治銘菓・鶏卵まんじゅうをいただいた。

また、ドラマーとしてジャズに精通され、今治の夏の有名イベントとなった「今治ジャズタウン」でも活躍された。2022年8月には、3年ぶりに開催され、大盛況を博した。


専務の葬儀・告別式には、当社から4名で駆けつけることとなった。皆、専務にお世話になっていて、感謝を直接伝えたいという気持ちだった。

私も、足の手術から5日ほどで、まだ杖をついてしか歩けないが、新幹線とタクシー移動ならなんとかなるとの思いで向かうことにした。

素晴らしい天気の中、たくさんで送り出すことができた。帰り道、特急しおかぜで瀬戸大橋からみる瀬戸内海はキラキラと輝いていた。そして、あっという間に、夕陽が沈んでいった。

ご親戚から伺ったが、本当に前触れもなく、急逝だったそうだ。ご家族もまだ信じられない、というご様子だった。

心よりご冥福と、残されたご家族のこれからの幸せをお祈りします。

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生きていることは、不思議なことだなと思っていたら、羽生結弦さんの宮城でのアイスショーのニュースが目に止まった。最後の言葉は、今の感覚とリンクした。

「どうか最後まで、最後の最後まで、気をつけて帰って下さい。今日ある命は明日もあるとは限りません。今日の今の幸せは明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください」(記事より引用)



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来週は、先週ご案内した、中庄さんのチョキペタスとのイベントが開催されます。詳細リンクを再掲しておきますね。


■3月14日 
・中庄チョキペタス×モラルテックスラボ・製本ノートワークショップ

すぐ近所にある紙の商社・中庄さんが運営するカタチを目指さない図工室『チョキペタス』と、私たちが運営するタオルカフェ『モラルテックスラボ』との初コラボイベントを開催します。

チョキペタス参加者限定ですが、ノートづくり+お好きなドリンク+タオルプレゼントがついて、なんと1,000円。

楽しいイベントになると思いますので、ぜひぜひご参加、お待ちしています!なお、予約開始は、3月6日(月)12時からです。


それでは、長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

良い日曜日を。



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本noteは、2022年11月30日の日東タオル社長就任後、鳥山が毎週の動きや感じたことを皆さまにお知らせするものです。

途中お休みすることもあると思いますが、基本的には、毎週末に更新しておりますので、よろしければ今後もお付き合いいただけますと幸いです。ふとした瞬間にお立ち寄り頂きますと、新しいことに挑戦していたりします。
セレンディピティも大切にしたnoteにしますので、どうぞよろしく!

鳥山貴弘

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